柔道の古賀稔彦はなぜ「五輪直前の大怪我」で金メダルを確信したか

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華麗な一本背負いを得意技とし、平成の三四郎とも呼ばれた柔道家・古賀稔彦氏。1992年に行われたバルセロナオリンピックでは、その直前に全治1ヶ月の大怪我を負うも見事金メダルを獲得、日本中に感動を呼び起こしました。何がこのような「快挙」を可能にしたのでしょうか。今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』で、その驚くべき秘話が明かされています。

勝負の極意

女子柔道が初めて公開競技として採用された1988年のソウルオリンピック。弱冠22歳にして、その大舞台で銅メダル獲得の快挙を成し遂げたのが北田典子さんです。

引退後もコーチとして恵本裕子選手を日本女子柔道史上初の金メダリストに育てるなど、手腕を発揮されています。そんな北田さんと女子プロ野球界の“女イチロー”こと三浦伊織さんの対談から勝負の真髄に迫ります。


北田 「講道学舎では、『負けは死を意味する』という暗黙の了解があるほど勝利に対する強いこだわりを選手全員が持っていました。といっても、敗北したこと自体で怒られることはありませんでした。要は、『負け方』なんです。勝っても勝ち方が悪ければ怒られましたし、負けても勇気をもって一歩踏み込んだために負けたのであれば、逆に褒められました。ですから、技術的なこと以上に、『なぜあの場面で攻めに行かなかったのか』といった精神面、人間育成の根幹である人間力を教え込まれました」

三浦 「ああ、技術以上に人間力を」

北田 「話は少し逸れますが、古賀稔彦が金メダルを獲得した1992年のバルセロナ五輪の時、古賀は試合10日前に靭帯を痛めて全治1ヶ月の怪我を負ってしまいました。おそらく、世間には『古賀はもうメダルを取れない』という諦めの雰囲気が漂っていたと思います。しかし、講道学舎の中では、『これで条件は揃った。古賀は勝てる』と皆が確信していたんです。というのも、オリンピックの舞台はどんなに実力があっても、0.1パーセントでも油断があれば勝てない世界です。古賀の場合、技術面はこれまで培ってきたものがありますから、最後の勝敗を分けるのは心です。怪我をしたことによって緊張感が研ぎ澄まされますから、『これで古賀は勝てる』とスタッフたちは確信しました。試合前に祖父が古賀に掛けたのは、『人間力で闘いなさい』のひと言だけでした」

三浦 「人間力で闘う」

北田 「そして古賀も古賀ですごかったのは、『自分は足が1本ないくらいで負けるような練習をしていない』と腹が据わったこと。見事、判定勝ちで金メダルを手にすることができました」

※ 本記事は『致知』2020年9月号特集「人間を磨く」より一部を抜粋・編集したものです

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