1985年、私は自衛隊が使っている国産兵器の欠陥問題を単行本『戦艦ミズーリの長い影 検証・自衛隊の欠陥兵器』(文藝春秋)にまとめました。小銃から戦闘機まで、日本の研究開発のお粗末さを絵に描いたような欠陥兵器の山でしたが、そこで明らかになったのが記録を残さないという悪習でした。
いうまでもなく、研究開発は失敗の積み重ねの面があります。ところが、日本の兵器の研究開発は失敗を恐れ、それが会計検査の対象として指摘されないよう、記録を全て廃棄することを繰り返してきました。そうなると、同じジャンルの兵器を開発するときも、またゼロからスタートすることになり、いつまでたっても日本の研究開発の水準が高まらない原因となってきたのです。
失敗を関係当局の目から隠そうとするのは米国にも似た面がありますが、米国の場合は失敗の記録を別に隠しておいて、次の開発の時にちゃんと活かすことを実行してきました。失敗した段階からスタートしますから、いつもゼロから始める日本と差がつくのは当たり前です。その中で、中国やロシアを圧倒的に引き離す研究開発を実現してきたのです。その国防研究開発が米国経済を牽引する最先端技術として花開いてきたことを忘れてはなりません。
このように、記録を重視するかどうかは研究開発にとどまらず、国家の経済力にも大きく関係してくるのです。日本の民主主義が先進国らしく健全に機能するうえでも、菅首相は公文書をはじめとする記録を残す姿勢を崩してはならないと思います。
安倍政権の官房長官時代の「文書隠し」については、それを認めることはできないでしょう。しかし、避けるべきことであったと原則的な立場から国民に釈明し、今後の公文書管理を徹底していく方向を示すことは練達の政治家ならできるはずです。菅政権の命運は、自分の著書によって自縄自縛になるかならないか、それが岐路になるかも知れないのです。(小川和久)
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