学研の本気が日本を変えた。「科学と学習」休刊後のV字回復 意外な2本柱

 

異色の出版社、波乱の歴史~「学研のおばちゃん」秘話

学研の発展を支えた「学研のおばちゃん」。その一人、埼玉・春日部市に住む浜野秀子さん(70)には大事にとってあるものがある。子供や孫が使っていた「学習」や「科学」。25年間、毎月4、50軒のお宅に学研の本を配達していた。「当時テレビCMをやっていたので、私が通るとその歌を歌う人がいて、面白かったです」と言う。

学研は戦後まもない1946年、そば屋の2階を間借りして始まった。小学校の元教師だった創業者の古岡秀人は、「戦後の復興は教育をおいて他にない」という理念を持っていた。それが「世のため、人のためになる」と考えたのだ。

当時、使われていたのは、戦前の教科書を墨で塗ったもの。そこで作ったのが、学校の授業を補う雑誌「学習」だ。その後、1963年には「科学」を発売。売り上げの起爆剤として考え出したのが付録だった。それにはこんな事情もあった。

「最初の頃は、理科の理科室においてあったような実験道具でした。当時、理科の授業で実験をやろうにも、実験器具が足りなかったので」(学研・西村俊之)

そんな学研には創業当初から逆風が。他の出版社に比べ歴史が浅いため、正規の販売ルートでは扱ってもらえないのだ。そこで編み出したのが、「学研のおばちゃん」が届けるという独自の販売方法だった。

それが功を奏して、1979年ピーク時には「学習」と「科学」合わせて670万部。小学生の3人に2人は買っていたという。子供たちが楽しみにしたのは毎月の付録。付録を作るのには涙ぐましい努力があったという。

例えば岩石標本の不足には本物の石が入っているが、「それを集めるために編集者が鉱山まで行って、『こういう石が欲しいんです。』という話をして、それを編集者、下手すると編集者の家族総出でカチカチ割ってこの大きさにしたという話を聞いています」(西村)。

だがやがて、学研に少子化という逆風が吹き寄せる。20年近く売り上げは下がり続け、2009年には「学習」と「科学」は休刊に。

そんなドン底の時代に社長に抜擢されたのが宮原だった。

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