学研の本気が日本を変えた。「科学と学習」休刊後のV字回復 意外な2本柱

 

パイロットを目指した男~非正規社員から社長に

宮原は防衛大学校に進学し、航空自衛隊のパイロットを目指していたという。

「お袋の教育が一番じゃないですか。親父も厳しかった。ちゃんと世の中のためになる、命懸けで仕事するような男になりなさいと、小さい頃から言われていた」(宮原)

しかし、怪我でパイロットの道を断念。27歳の時に学研に入社する。正社員としての採用ではなかった。兵庫県の地域限定社員として学研教室の新規開拓を担当した。

ところが1995年、阪神・淡路大震災が起こる。多くの学研教室が倒壊し、授業もできない状態に。生徒も4人亡くなった。宮原はある生徒の葬儀が忘れられないという。小さな棺の中には生徒の思い出の品々が。その一つに思わず絶句した。

「棺の中に一番好きなものとして親御さんが入れられたのが、学研の図鑑だった。何とも言えない気持ちですよね。小さい棺なんですよ。すごくつらい思いでしたね」(宮原)

その後宮原は、本社に「被災した生徒の月謝を免除してあげられないか」と提案した。だが、幹部の答えは「それは君の立場で考えることじゃない」だった。

組織を動かすには立場が必要だ。そう思い知らされた宮原は必死で働き、営業のトップに。兵庫県限定の担当から、関西地区の担当、さらに西日本、そしてついに全国を統括するようになる。2003年に正社員となり、その7年後には社長に登りつめる。

ドン底の学研で宮原が見つめ直したのは「世のため、人のため」という創業の精神だった。そこで乗り出したのが、出版とは無縁の高齢者福祉の分野。ますます深まる高齢化時代に「何が必要か」を見据えてのことだ。

今では認知症の予防にも取り組んでいる。

埼玉・さいたま市の学研グループ メディカル・ケア・サービスで行われていたのは、脈絡のない動作を口と手で同時に行うことで脳の活性化を促すプログラム。参加者にはMRI検査を受けてもらい、そのデータを島根大学に送る。半年間のプログラムが、脳に与えた影響を解析するのだ。

「何年後にどのくらいの確率で認知症になるか。もしくはただ忘れっぽい問題のない人なのか。それを判別することで、認知症を予防できることになると思います」(島根大学医学部・長井篤教授)

さらに、精密機器メーカーの島津製作所とタッグを組み、脳のさまざまな部分の血流量を測り、認知症の早期発見につなげようという試みも行っている。

度重なる逆風が学研をフレキシブルにしたのだ。

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