4.ローカルビジネスと個人の幸せ
一部の特権階級が富を独占し、身分が固定されると、社会の進歩は止まってしまう。そして、個人の自由と幸せも奪われてしまうだろう。
グローバリズムが個人の幸せを奪うシステムならば、それを否定することも可能である。国土に根ざし、国益を優先する社会を作る。多国籍企業によるグローバルビジネスに規制をかけ、関税により国内産業を保護する。行き過ぎた保護政策も社会の活力を奪うが、行き過ぎたグローバリズムも同様に社会の活力を奪うのである。
常に適度な競争と企業や組織の新陳代謝が行われること。適度で健全な欲望を抑制しないこと。一定以上の格差拡大を防ぐための社会保障を充実させること。
貨幣経済は自由競争には適しているが、社会のインフラ整備、文化や芸術の振興には適していない。お金だけではなく、名誉や尊敬を保証する仕組みも必要だろう。
また、常に新たな課題をテーマを設定し、人々が努力したくなる社会的ビジョンも必要
だ。経済だけではなく、道徳や精神的な尺度も必要である。
現在は、自由主義経済、貨幣経済、グローバリズム、競争社会等に偏り過ぎて、人々はストレスを抱えている。家族や社会との関係も希薄になっている。
我々は、一度、グローバリズムだけが正しいという思い込みを捨てて、ローカルに生きる個人の幸せに目を向ける必要があると思う。
編集後記「締めの都々逸」
「世界に目を向け 夢見ていても そんな器量があるかいな」
米国大統領選挙、凄いですね。次々と想定外のことが起こります。不正選挙の疑いがありますが、あまりにも雑で杜撰な工作活動であり、こんなことが通用するのなら、世も末だと思っています。
実際、世も末なのでしょう。末だから、焦っている。追い詰められている。しかし、大統領になっても、米国を良くできるのでしょうか。結局、私利私欲の戦いになりそうです。米国と中国の私利私欲。
そして、怖いのが、私利私欲のための戦争や侵略です。
なぜ、他人の自由や幸せを認められないのでしょう。私利私欲を捨てない限り、幸せになれないのだから、私利私欲を捨てる競争をすればいいのにと思います。どちらが先に悟るかを競争する。どちらが我欲を捨てられるか。そんな時代じゃないのかな、と思うのです。(坂口昌章)
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