こうした現実を国民に説明し、しばしの不自由を受け入れてもらう必要があります。休業などの補償は、激甚災害法と同じ発想で手を差し伸べ、それに上積みすることで理解を求めるのも一案です。経済活動は大規模災害などのリスクを前提として行われていますから、地震や津波を相手に文句を言ったり、補償を求めたりすることはあり得ません。それを救済するのが激甚災害法の趣旨です。そう説明すれば、政府の方針を理解しない国民はいないでしょう。これが正攻法というものです。
ロックダウンも、軍隊が前面に出る戒厳令を想像して躊躇するのではなく、日本に適した形で柔軟に考える必要があります。対策の基本は「人と人との接触」を完全に近いレベルで断ち切ることですから、公共交通機関を使った通勤は、許可証を持つ重要インフラ産業などのエッセンシャルワーカーに絞り、買い物、散歩、軽い運動なども許可証で規制することは避けられないでしょう。
誤解してはならないのは、これは短期間に限定される物理的な規制措置であり、それ以外の国民の自由を侵すものではないという点です。言論はもとより、集会の自由もネットを使った形で保障され、検察庁法改正問題でも政府に反対の意思を突きつけ、見送りに追い込んだことを忘れてはなりません。
安全保障専門家として言えば、正体がわからず、ワクチンの開発にも時間を要する現段階では、今回の新型コロナウイルスは武力侵攻を受けた場合に比べても深刻な脅威として位置づけるべきです。通常の武力侵攻では、一般市民が攻撃の対象になることは基本的にはありません。砲爆撃による死傷はあっても、市民を標的にすることは国際法で禁じられているし、国際的イメージの点からも、どの国も避けようとするからです。
しかし、ウイルスは全人類の隣にいて、いつ牙をむくかもしれません。だからこそ、世界の指導者は「戦争」であり「有事」と呼んで危機感をあらわにしたのです。それを「大げさ」とか「感染症と戦争は違う」などと言うのは、危機を自覚していない証拠と申し上げざるを得ないのです。(小川和久)
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