子どもを叱れぬ「甘い」教師の落とし穴。だから生徒に信用されない

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子どもとの関係性を壊すのが怖くて叱る、注意することができない先生が増えているようです。その悩みに現役小学校教諭の松尾英明さんは自身の無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』で、「叱る」という行為の原則から解説し、厳しい、甘い先生双方のニーズについて論じています。

厳しい先生、甘い先生

若い先生方、あるいは教育実習生からなどでもよく聞くのが「叱れない」「注意できない」という悩みである。子どもとの関係性が壊れるのが怖いのである。

ここについて述べる。

まず、叱るという行為だが、これは基本的には人間関係ができてからでないと、本来の正しい効果を期待できない。叱るという行為には、人間的で感情的なものが入るからである。

一方で、注意はできる。これは、人間関係の有無とは関係なしに、役割としてできる。例えばビルの侵入禁止区域に立ち入ったら、全く見ず知らずの警備員の方に注意されるのは当然である。それを不服と思う方がどうかしている。場合によっては、注意する側が警備ロボットのような機械であっても、成立する。

要は、だめなことなら、関係性の有無に関わらず「それは困る」「いけない」ときちんと伝えること。これが肝要である。そしてこれは「叱る」とは全く別次元の話である。

「叱る」は関係性ができてきたら、行うべき時に行うものである。何度も注意されていることを平気で破るようであれば、これは叱る対象である。あるいは、人間的に許せないようなことであれば、やはり叱る対象である。

ここで先に述べた、関係性が壊れるという恐れが生じるかもしれないが、これは真逆である。叱るから、関係性が良好になるのである。信頼につながるのである。

どういうことか。

だめなことをきちんとだめなことだと叱ってくれない状況が続くとする。まず、当の本人はどんどん悪くなる。周りの子どもは「なぜこの人は先生という立場なのに、こういう時にきちんと叱らないのだろう」と不信感をもつ。叱らないことで、信頼を失うのである。

一方、だめなことを毅然と叱るとする。まず、当の本人がこれは認めてもらえない行為だと認識する(ただし、素直にきくかどうかは本人の器次第である)。周りの子どもは「自分も嫌だと思っていた行為を、先生はきちんと止めてくれた」と安心する。叱ることで、信頼の構築につながる。

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