政府のカネで作った自民プロパガンダ映画『Fukushima 50』が歪曲する真実

 

知っておくべき『Fukushima 50』と安倍前首相の関係

豪華俳優陣が熱演するドラマに水を差すようだが、日本テレビで映画が放映されるにあたり、あえて疑問を呈したい。

原作者が言うように、戦争世代と同じ使命感で原発の職員らがその場にとどまったのだろうか。安倍晋三氏が言うように、戦後の教育方針にはない精神が彼らに息づいていたのだろうか。

そうではあるまい。人間として、最後までフェアでありたい、職責を全うしたいという本然的な倫理観が彼らを突き動かしたのである。真っ暗で何もわからず、放射線は容赦なく命を脅かす。そんな状況のもとで、何が国家だ、何が戦争だ。イデオロギーめいたものではなく、人としてのありようだけが、そこには存在しているのだ。

この映画の成り立ちを考えるため、客観的な事実をあげておく。

映画のエグゼクティブプロデューサー、井上伸一郎氏(株式会社KADOKAWA副社長)が、昨年3月、ネットニュースのインタビューで語ったところによると、もともとの企画者は俳優の津川雅彦氏(故人)であり、角川歴彦会長に話を持ち込んできた。角川会長から「これを映画化できないか」と、門田氏の原作を手渡されたのが2015年ごろだという。

津川氏といえば、熱烈な安倍晋三応援団の1人だった。2012年9月に発足した「安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会」で発起人、2015年10月に発足した安倍首相直轄の有識者会議「『日本の美』総合プロジェクト懇談会」では座長をつとめた。

津川氏は『Fukushima 50』の完成を見届けることなく、亡くなったが、この映画にはしっかりと政府のカネがついた。文化庁文化芸術振興費補助金(映画創造活動支援事業)である。いわば、安倍政権ご推奨の作品というわけだ。

原作者の門田氏は原発に残って苦闘した人々を、戦争をした世代と同じ使命感を持つと見て感激し、作品にした。それは作家の自由だ。しかし一方で、『Fukushima 50』は歴史的重大事を娯楽映画にする場合の危うさを浮き彫りにした。英雄と悪人の対立構図をつくるためか、怒鳴りちらして邪魔をする総理のイメージが突出し、かえって問題の矮小化につながってしまった面がある。むろん、原発再稼働をめざすアベ・スガ政権にとってはそのほうが都合がいいのかもしれないが…。

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