政府のカネで作った自民プロパガンダ映画『Fukushima 50』が歪曲する真実

 

映画版は「アベ・スガ政権に都合がいい作り話」

稼働中だった1、2、3号機はモーターをまわせなくなって、冷却水がストップ、蒸気だけが発生し続けていた。水の上に顔を出したウラン燃料が溶け出し、格納容器内の圧力は限界に近づいていた。格納容器の気体を外に逃して圧を下げるベントが必要だった。

東電から説明を受けた総理はベントの指示を出したが、いつまで経ってもベントが始まらない。「なんでやらない」と東電の担当者に聞いても要領を得ない。自分が現場で直接聞くしかないと、総理は決断した。

東電本店から「総理がそちらへ視察に行きます」とテレビ会議で連絡を受けた吉田所長は「そんな余裕はない」「こっちはそれどころじゃない」と断るが、本店は「決定事項です」とにべもない。

問題はこの後だ。「とりあえず、ベントは総理の視察まで待てというわけですね」と吉田所長が問い、本店は押し黙る。

一方、総理は「なぜベントを早くやらない」と怒鳴りちらしながら現場に到着し、初めて吉田所長と会議室で対面する。総理が「早くベントをしてくれ」と言うと、吉田所長は「もちろんです。決死隊をつくってやってます」と答える。別の場面では作業員たちが「総理はまだ帰らないのか」などと話し合っている。

ベントが早くできなかったのは、電動弁が使えないため、高線量のなか、手動で弁を開こうとしていたからである。総理が官邸を離れたことには問題があっても、総理が来たからベントが遅れたということではない。むろん、ベントで放射線物質が排出されるため、周辺住民が避難し終えるまでの時間も必要だ。

1号機と3号機はなんとかベントに成功した。しかし、2号機は、格納容器の中が水蒸気でいっぱいになり、圧力が大爆発寸前まで高まった。

吉田所長は、格納容器内の圧力が設計基準の2倍をこえた3月15日の時点で、大爆発を覚悟した。のちに「東日本壊滅が脳裏に浮かんだ」と証言している。

その状況下、「東電が撤退する」という情報が官邸に飛び込んできた。原発を放棄した場合、避難対象は半径250キロ、人口約5,000万だと官僚が試算を示す。戦慄した総理は、東電本店2階の非常災害対策室に乗り込み、大声を張り上げる。

「撤退などはありえない。命がけでがんばれ。撤退したら東電は100%つぶれる。逃げてみたって逃げきれないぞ」。

総理の姿を、テレビ会議のモニターごしに見つめる福島第一の所員たち。1人がつぶやく。「何言ってんだこいつ」。そして次々と声が上がる。「誰が逃げるってんだ」「ふざけるな」。

吉田所長は、テレビ会議のカメラに背を向けて、ズボンを下ろし、パンツを出してシャツを入れなおした。本店でモニター画面のほうを向いている総理に尻を見せるかっこうだ。

このシーンについて、門田氏は「命をかけて事態に対処している者たちに、一国の総理が『命がけでやれ!』と言い放ったのである」と総理に批判的だが、まだしも原作には菅首相の言い分や、東電の説明不足を指摘する班目春樹原子力安全委員長の証言が、抜かりなく記されている。

事実はこうだ。「撤退情報」は枝野官房長官、海江田経産相が東電の清水正孝社長から受けた電話連絡でもたらされた。その内容は「今後ますます事態が悪化する場合は、退避を考えている」というものだった。両大臣はこれを「全員撤退」と受け取ったが、のちに「制御に必要な人間を除いて」という言葉が足りなかったための行き違いとわかった。原作を読めばこれが分かる。

しかし、総理側の視点を欠いた映画から伝わってくるのは、決死の作業を続ける者に向かい「命がけでやれ」と重ねて圧力を加える総理の悪印象ばかりである。

撤退騒動のもとになった2号機は結局、最悪の事態を免れた。水蒸気がどこからか抜けていたのだ。格納容器の一部が脆弱な、いわば欠陥機であったことが奇跡を呼び込んだ。

「事故の収束」を暗示する映画のエンディング

映画は、2号機の圧力が下がったことを喜ぶ現場の人々、官邸や東電本店の安堵した様子を映し出し、米軍のトモダチ作戦、そして原作にはなかった吉田所長の葬儀(2013年)シーンにつなげて、静かなエンディングとなる。まるで、事故が収束したかのような錯覚を覚える。

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