池田教授が警戒。コロナ禍で家に引き篭もる高齢者に「要介護」の危険性

 

これは体の問題であるが、もっと大きな問題は、コロナ禍になって鬱の老人が増えてきたことだ。人が生きるのに最も重要なのは承認欲求だと私は思う。SNSに投稿して「いいね」が付くと嬉しいのは多少とも承認欲求が満たされるからである。知らない人から「いいね」と言われても嬉しいのだから、よく知っている人や敬愛している人から認められれば、これは大きな生きがいとなる。コロナで、会合も会食もままならないと、承認欲求が充分に満たされずに、文字通り欲求不満になる。電話や、ZOOMといったコミュニケーションのツールはあるが、対面で話をするのに比べれば、コミュニケーションの密度は落ちる。

例えば、ボランティアで地域活動のリーダー役をしていて、それが生きがいだった人が、コロナ禍で、集会はNGということになって、生きる楽しみが減ったという話は良く聞く。ボランティアは他人のためではなく実は自分の楽しみでやっていたのだということがよく分かる。だからいけないと言っているわけではないが。

コロナ禍の中でもフレイルにならない人は、自分一人で、楽しいことを見つけて、身心が衰えない程度の活動をしている人である。他人と一緒でも楽しいが、自分一人でも結構楽しめる趣味がある人は、他人の存在を当てにしている人より生き延びる力は強い。私事で恐縮だが、私は他人とあまり会わなくとも、一人で楽しめる趣味がいくつかあって、ある程度、体も頭も使うので、フレイルにならないで済むと思う。尤も未来のことはわからないので、偉そうなことは言わない方がいいんだけれどね。

新型コロナウイルスが流行り始めたころは、暇になって嬉しいとばかりに、毎日、溜まりに溜まった虫の標本を整理していた。これは基本的にデスクワークなので、体力はあまり使わない。但し、虫の名前を調べるのに日本語の文献ばかりでなく外国語(と言っても英語以外はほとんど読めないけどね)の文献にも目を通すので、頭も結構使うのだ。それとは別に、原稿書きもしなくちゃならないので、こっちのほうも多少は頭を使う。

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