障がい者を対象としているこれら虐待防止の手引きであるが、これは「社会的弱者」でも成り立つはずで、新型コロナウイルス禍の中で、生きていくためにもがく飲食店は今や社会的弱者である。
多くの飲食店は金融機関とうまく付き合いながら、ぎりぎりの資金繰りで経営しているところがほとんどであろう。
営業している店への「圧力発言」は虐待そのものだ。
私たちが障がい者の特性を理解し、その特性を見つめ、よりよい支援をしていこうとする時に、何かを交換条件にしたり、圧力をかけたりすることはない。
結果的に「社会が」求めることが出来なかったことがあったとしても、それを共有し、そこからやれることを組み立てていこうと考える。
これは声高に主張するまでもない、支援をする者として当然の考えと行動だと考えている。
これが記者会見の場で堂々と心理的虐待をやられると、支援者としての私の反応ももちろん、冒頭の高齢者の反応も当然である。
自助、公助、共助、も結局は空疎で中身がないことにもつながっていると思う。
さて、政府はこの発言の本質を認識しているのだろうか、と思う。
コロナ禍の終息が見えない先行き不安な社会に、必要なのは安心できる対応と、適切で真摯な言葉による説明。
その説明がないから不安は募り、圧力にも強く反発してしまう。
この貧困な言葉のまま、説明も不足する中で、五輪が開催されることも残念に思う。
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