なぜ日本人の給料は韓国人より年間38万円分も少なくなったのか?

 

この所得倍増計画を立てたのは、下村治という経済学者です。昭和30年代前半の日本社会というのは、戦後の民主化による市民運動、労働運動がもっとも激しいときです。国民世論やマスコミも、「企業や資本家」を吊し上げるという方向に行きがちでした。経済学者たちも「経済成長」よりも、いかにブルジョアジーから労働者にお金を回すか、ということばかりに気を取られていました。

が、下村治は、「現在の日本は、上から下まで皆、貧しい。企業や資本家も、そんなにお金を持っていない。しかし優秀な人材はたくさんいるのだから、復興さえできれば、大きな経済成長が見込める」という考え方を持っていました。その考えをもとに「所得倍増計画」を立案したのです。

池田勇人や下村治や卓見だったのは、経済を成長させるうえで、「国民の所得」というものを第一のターゲットにしたことです。「国民の収入が増えれば、経済はよくなる」という、非常に単純だけど、なかなか行き付きにくいテーマに、真向から取り組んだことです。

確かに「所得」をターゲットにしたのは、的を射ていました。国民の収入が増えれば、消費も増えます。消費の拡大がまた経済成長につながるのです。つまり、まず所得を増やし、それを牽引車にして、経済を成長させる、という考え方です。

国民の収入が増えれば、国民の間にあった分断も解消されました。戦後間もない時期は、激しい労働運動が展開されていましたが、所得倍増計画後には、日本の労働運動は下火になっていきました。日本で労働運動が下火になったのは、各企業が従業員が不満に思わないように、それなりに賃金に気を配ってきたからです。「企業は雇用を大事にし賃上げに全力を尽くす」「従業員は無茶なストライキなどはしない」労使のそういう信頼関係の元に、日本特有の「日本型雇用」が形づくられたのです。

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