森永製菓の“異常な努力”が生んだ定番「チョコモナカジャンボ」の秘密

 

創業時から引き継ぐDNA~失敗を恐れぬチャレンジ魂

「冷やし甘酒」は太田が北海道支社にいた頃、自ら手がけた商品だ。

「冬に売れる甘酒を夏にも売りたいと。(当時は)売れなかったですね」(太田)

その北海道時代が太田にとって大きな転機となった。太田は41歳の時、北海道の3つの支店を統合した初代統括支店長に抜擢された。

「統合前の支店長がみんな年上で、言うことを聞かないんです。『なんだこいつは』『若造が』みたいな……」(太田)

社員たちも統合によって慣れない仕事に戸惑い、大混乱。売り上げは大きく下がり、太田は焦っていく。

「『目先の売り上げをとってこい』みたいな最悪のパターンです。値引きなど条件をつけて問屋さんに売るわけです。チョコボールとかを無理して売る。買ってくれと」(太田)

問屋に商品を押し付けると、一時的に売り上げは上がるものの、問屋の在庫が増える。結果、翌月には発注が来なくなるという悪循環に陥った。

そんなピンチの太田を救ったのが、本社からやってきた専務の言葉だった。

「目先に利益に走っていたので『何をやっているんだ』と叱られました。『新しいことに失敗を恐れずチャレンジして仕組みを考えろ』と。その後、『北海道の売り上げが半分になっても会社は潰れない』と言われて、その言葉がすごく残っています」(太田)

一方、森永製菓で今も語り継がれる太田の大失敗があるという。

それは2012年、太田が営業本部長だった頃のこと。太田はアイスクリームの強化を模索しており、「お酒を飲んだ後に食べるウコンのアイス」を提案する。当時、二日酔いに効くと、ウコンのドリンクがブームとなっていた。

太田は周囲の反対を押し切り「ウコンアイスバー」を発売した。

「全く売れなかったですね。生産した半分も売れない。悲しいくらい売れなかった。でも『新しいことにチャレンジしよう』と、今でも社内で自慢話にしています」(太田)

~村上龍の編集後記~

あのエンゼルマークを見ると幸福な感じになる。食べる人の幸福を真剣に考えてきた企業なのだとわかる。ミルクキャラメルの商品化には15年かかっている。明治から大正にかけての15年は長い。だが創業者は妥協しなかった。太田さんは、目先を追わないという森永のモデルを作ったが、ウコンアイスでは失敗した。ウコンアイス、酒飲みのアイデアだ。まったく売れなかった。だがそれをジョークで話せる太田さんはすごい。他に失敗が見当たらないのだ。

出演者略歴

太田栄二郎(おおた・えいじろう)1959年、兵庫県生まれ。1982年、同志社大学商学部卒業後、森永製菓入社。取締役営業本部長、専務執行役員などを経て、2019年、代表取締役社長に就任。

254147232_316012703694602_8823022577465445200_n

テレビ東京「カンブリア宮殿」

テレビ東京「カンブリア宮殿」

この著者の記事一覧はこちらから

テレビ東京系列で毎週木曜 夜10時から放送。ニュースが伝えない日本経済を、村上龍・小池栄子が“平成カンブリア紀の経済人”を迎えてお伝えする、大人のためのトーク・ライブ・ショーです。まぐまぐの新サービス「mine」では、毎週の放送内容をコラム化した「読んで分かる『カンブリア宮殿』~ビジネスのヒントがここにある~」をお届けします。

print
いま読まれてます

  • 森永製菓の“異常な努力”が生んだ定番「チョコモナカジャンボ」の秘密
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け