森永製菓の“異常な努力”が生んだ定番「チョコモナカジャンボ」の秘密

 

日本初のキャラメルを製造~お菓子のパイオニア企業

横浜市にある森永製菓研究所で変わった研究をしている人がいる。優雅にクラシック音楽をかけながら、チョコとワインを口に。

「ワインとチョコレートと音楽のトリプリング(3つの組み合わせ)を。ペアリングでは飲み物とチョコレートの相性を見ますが、トリプリングはさらにプラスアルファで、今日は音楽を合わせています」(研究員・小野隆)

研究してきたワインとチョコの相性は、実際に売り場で、どのワインにどのチョコが合うかを客に提案するのに、生かされてきた。今はさらに踏み込んで、音楽も加えた相性の研究に取り組んでいるというわけだ。

こうした未知の分野への挑戦こそが森永製菓のDNAだという。

森永製菓の創業者・森永太一郎は明治時代の半ば、西洋の菓子づくりを学ぶためアメリカへ。11年間の留学を経て帰国すると、1899年、東京・赤坂に小さな工場を構える。アメリカ仕込みのレシピで1913年、缶入りの国産キャラメルを発売するが、あまり売れなかった。当時の日本人はバターやミルクの味に慣れていなかったのだ。

そこで太一郎は、乳原料を減らして風味づけを工夫。さらに、湿気でべたべたするのを防ぐため、1粒ずつワックスペーパーで包んだ。そして当初缶入りだったパッケージを、手軽に買える紙箱に替えた。こうした工夫で人気商品に仕立て上げたのだ。

キャラメルだけではない。1918年に日本で初めてカカオ豆から一貫製造するチョコレートを生み出し、1923年には高級品だったビスケットを手頃な菓子として発売した。

さらには業界に先駆けて食品衛生にも取り組み、白衣に帽子の制服を採用。また、従業員の健康も考えて、いち早く8時間労働制も取り入れた。

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「栄養価の高いお菓子を」~健康にいい商品も進化

森永太一郎が西洋菓子を広めようとしたのには大きな理由があった。

「日本の人々に栄養価の高いおいしいお菓子を届けたい、と」(太田)

当時の日本は栄養状態が悪く、カロリーも不足していた。太一郎はお菓子の栄養面を知らせようと、キャラメルの箱に「滋養豊富」の文字を入れ、チョコレートのポスターには「今後の保健に重大なり」と謳った。

創業者の思いが受け継がれたのか、ここ数年、健康面で再評価される商品も出ている。

そのひとつが酒や砂糖などの調味料代わりとしても使われる「甘酒」(1974年発売)。そもそも甘酒には多くの栄養素が含まれ、「飲む点滴」とも呼ばれて注目されている。

森永の「甘酒」が選ばれる理由は、「2つの発酵素材が同時に取れる」(研究員・尾形朋美)から。米麹と酒粕の2つの発酵素材がブレンドされているため、体に優しく、味付けも手軽で肉も柔らかくしてくれるという。コロナ禍で家庭での食事が増えた今、時短で健康料理を作ってもらおうと、甘酒を使った様々なアレンジレシピの提案もしている。 

子供に人気の「ラムネ」は、東京大学構内の売店でよく売れているという。

「『大粒ラムネ』が学生さんに人気です。特に試験前は、通常の2~3倍ほど売れました」(駒場購買部店長・杉田豊さん)

その秘密はラムネの甘さ成分のブドウ糖。ブドウ糖は脳が働くための唯一のエネルギー源で、森永ラムネでは90%がブドウ糖だ。2018年、ブランドエクステンションでそれをアピールした「大粒ラムネ」を売り出したところ、受験生やビジネスマンなど、大人の間で大ヒットとなった。

健康を意識した森永商品の代表格が1994年発売の「inゼリー」。当初は「10秒でとれる朝ごはん」をうたったが、今ではさまざまな用途に合わせて11種類に増えた。

最近は新たに進化した商品が開発された。それが「inゼリー 完全栄養」(発売未定)。タンパク質やミネラルなど30種類以上の栄養成分が入っている。余計な情報は入れず、パッケージも超シンプルにした。

「創業者がチャレンジしてきたんです。その風土は120年経つと安定的になるので、そこをもう1回見直したい」(太田)

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