反動勢力が暴力的に幕府を打倒し国家を乗っ取った「明治維新の真実」

 

薩長こそが幕府の開国方針を妨害する反動勢力

津田左右吉は言う。

▼幕末の十余年間において、当時の日本政府であった幕府の当局者が、日本の国家の進路を如何なる方向にとらせようとして努力したか、そしてそれがどれだけの効果を収めその後の日本にどういう働きをしたかを見るとともに、幕府のこの方針に対立して断えずそれを妨害する力、歴史的意義においては一種の反動勢力があったこと、また、後に維新の元勲などといわれた人物の思想や行動もこの反動勢力に属するものであって、それが明治の日本にいろいろの暗い影を投げかたことを明らかにしようとしたのである。

▼アメリカ及びヨーロッパ諸国の開国の要求に接し、親しく列国と交渉を開くようになると、幕府の当局者は初めて幕府が世界における独立国としての日本の政府であることを新しく認識し、おのれらが世界における日本人であることの明らかな自覚に導かれた。幕府の政治は、これまでの如く徳川家の権力を維持し固めることにあるのではなく、世界列国に対して独立国日本を立派に打ち立てることであるという根本方針が、阿部正弘・堀田正睦の二閣老の指導で決定された。

▼列国との通商条約の締結及びその実行としての貿易港の開設、批准交換使のアメリカ派遣、オランダから教師を招聘して行われた海軍伝習、日本の海軍軍人が咸臨丸でアメリカに渡航、西洋の学術の研究と教授とのための国立の学校たる洋書調所の開設、留学生のヨーロッパ派遣、あるいはまた蝦夷地の警備及び拓殖、小笠原島の所属決定、数次のヨーロッパへの使節派遣、在外公使の任命及び公使館に設置、将軍特派大使の欧州列国の宮廷歴訪、パリ万国博覧会への参加、横須賀造船所の開設等々、幕府は終始一貫、開国の国策を追行し、それを執拗に妨害したのが上記の反動勢力だった。

ここが肝腎要。守旧的で時勢への対応能力を失ったどうしようもない幕藩体制に対して、薩長中心の維新=改革≦革命勢力が武力を用いて打倒し、輝かしい近代日本を切り開いたと、教科書は教えている。しかし津田によると話は逆さまで、時勢に対応しようとそれなりに機敏に対応して次々に手段を繰り出していたのは幕府で、それに反対し妨害していたのが薩長らの「反動勢力」である。

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