反動勢力が暴力的に幕府を打倒し国家を乗っ取った「明治維新の真実」

 

臆断と狂信、場当たりの思いつきと軽浮な行動欲

津田は「反動勢力」という語を用いたことについて、さらに説明を加えている。

▼幕府の国策は現実の情勢に対応して日本の国家の進むべき針路を見定め、そのために幕府の従来の政治を根本的に改めることによって成立した。それに対して薩長はじめ一部知識人、暴徒化した志士・浪人の徒は現実を無視した空疎な臆断と一種の狂信とによってこの国策を破壊しようとするものであった。しかも彼らは、何らかの明確な思想を指導精神としてそれを実現しようとしたのではなく、互いに齟齬したり矛盾したりしている雑多の、また時によって変動常なき、いわば場当たりの思いつきと軽浮な行動欲との重なり合い働き合い排撃し合う中で知らぬ間にある勢いが生じて、幕府倒壊の方向へと駆られて行った。

▼志士・浪人輩の間では、意見や行動を異にする者を「奸物」と称して殺戮するのが常習であったが、勝海舟や西郷隆盛や吉田松陰も例外ではない。志士・浪人の間に行われた虚伝または彼らの捏造した浮説を軽信し、殺伐な彼らの気風と虚栄心と、他に対する猜疑心や自己の弱小感と、一方では自己が一たび手を挙げれば事は忽ち成り天下は忽ち動くと思う誇大妄想的な行動欲とが入り混じって、凶悪行為に出た。

▼西郷は思慮の周到な実行家ではなく、ある程度の空想的傾向を帯びていて、おのが欲するところに適合するような、または志を同じくする者から伝えられた風説をば、慎重に判断することなくして軽信する人物であった。西洋に対する日本の国策についてしっかりとした意見を持っていた形跡はなく、外交に関する言葉は浅薄軽浮であることを思うと、彼は当時の世界の形勢などはほとんど知らなかったのではないか。

▼国民をしてその向かうべきところに向かわせるには、時勢の趨くところを見抜く明識と、真に国を憂うる誠実なる心情とを有する優れた思想家、その意義での一世の指導者がなくてはならぬ。けれどもそれは容易には求め得られぬ。藤田東湖、佐久間象山、吉田松陰の如きが多くの書生輩に指導者として仰がれていたようにも見えるが、彼らは(中略)功名心に富んだ者であり、またいずれも時勢を達観する思想の深さを書いていた……。

このように、津田にかかると、お馴染みの維新の英雄たちもボロクソである。この程度の連中が孝明天皇を上手く道具立てに利用して、暴力的に幕府を打倒して国家を乗っ取ったのが明治維新なのである。

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