京大教授と“宿敵”竹中平蔵との対談で判った新自由主義のヤバさ

 

第一に、かつてはPB規律よりキツイ規律があり、それを私が苦労して緩和してPB規律にしたのだからそれでいい、なんていう論理は単なる詭弁です。こちらは日本のためにPB規律がキツすぎるといっているのですから、それよりキツイ規律がかつてあったかどうかなんて何も関係ないからです。

第二に、私は、PB規律が国民を不幸にしているから、緩和すべきだと主張している一方で、竹中氏は、PB規律が必要であることの論拠を明確には述べておられません。「そういう総量規制が必要だ」という主張を繰り返されているだけで、なぜ必要なのかは最後までおっしゃりませんでした。

第三に、仮に総量規制が必要だとしても、PB規律だけが総量規制なのではないのです。したがって、総量規制のためにPB規律に拘る必然性は皆無です。例えば、「○兆円以上だすと、債務対GDP比が拡大する(orインフレ率が2%以上になる)。だから、○兆円以下にすべきだ」とすれば、当方が主張する債務対GDP比やインフレ率でも総量規制が可能なのであり、PB規律は不要なのです。

以上の3点は、ここで改めて解説するまでもないくらいに自明のポイントです。

ですから、こう発言する竹中氏に対して当方は「今やもう、PB規律が一番キツイ規律になっているのであり、これをやめ、より柔軟な規律(債務体GDP比やインフレ率、成長率による財政規律)に規律を改変しなければ、国民を救う財政が展開できない」という発言を繰り返す他になすべきこと(追加的に何かを言わなければならない事など)が特にない様な構図になっていたわけです。

……が、竹中氏は当方の発言に対して、様々な言葉を立て板に水の如く流ちょうに繰り出されるので、こういう「論理の構造」ないしは「詭弁の構造」に思いが至らず、何やら専門家同士のしっかりとした討論がなされたのだ、とご認識の方も少なくはなかったものと思います。

誠に残念ですが、逆に言うと、この議論をテレビで晒したことによって、竹中氏の詭弁性(そしてもちろん、PB規律の不要性)を改めて認識された方も又、少なくは無かったものと思います。

さて、それでは最後の「新自由主義」についての議論について解説したいと思います。

まず、両者の間で合意が取れたのは以下の一点です。

  • 規制緩和のメリットとデメリットを考え、デメリットが上回っていると危惧されれば辞めるべきだし、事後的に明らかになったのなら、再規制強化すべき

ついては、我々の討論は、メリットとデメリットの具体的内容に関する議論になる「はず」、でした。ついては、当方は、以下の様な論点を主張しました。

  • 一度規制を緩和してしまえば、元に戻らないという事が往々にしてある(社会には不可逆性というものが有るため)。したがって、規制緩和には慎重さが必要であるが、今日、その慎重さは著しく失われており、極めて深刻な社会悪が横行している
  • デメリットを緩和するための事後チェック機能を強化することも必要だが、結局それは全く行われないでデメリットが野放しにされている。これは深刻な社会悪だ
  • それらの結果、規制緩和され、デメリットが上回っている事例が実に多くあるのに(タクシー、トラック、電力など多数の具体例を列挙)、未だに放置されたままになっている。これは深刻な社会悪だ

これに対する竹中氏の反論は以下の様なものでした。

  • デメリットがメリットを上回っているなんて事は無い(具体的例示は無し)
  • 規制緩和のデメリットの問題は、事後チェック機能を強化すれば良い
  • 規制緩和すべきだという思い込みもあるが、規制緩和は悪いものだ、という思い込みもある。この後者の思い込みが、必要な規制緩和を阻んでいる

これらのご発言には、実に多くのツッコミが可能です。

例えば、「メリットとデメリットを見据えて是々非々で規制緩和、規制強化の議論をやるべきだ」という前提で議論をしているのに、「デメリットがメリットを上回っているなんて事はありませんよ」と断定するのは、完全な自己矛盾です。

どちらかの発言が嘘であると考えざるを得ません。

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