プーチンの「モンスター化」を助けた米国が犯し続ける対ロ政策の失敗

 

こうした歴史の流れについて、ロシアの文化、文明、風土、人心などに責任を帰するのは簡単です。ですが、冷静に考えてみた際に、たとえばロシアの政治的な「競争相手」であるアメリカは、この30年にわたってロシア政策において、ひどい失敗を繰り返してきたのも事実だと思います。この間のほとんどの大統領が、ロシア政策で誤りを犯し、その間違いが積み重なることで、現在の事態を招いたという評価も可能でしょう。

今回は特に、アメリカの歴代大統領、クリントン(1993~2001)、ブッシュ(2001~2009)、オバマ(2009~2017)の3代の大統領が、いかにロシア政策において失敗を続けてきたのかを考えてみたいと思います。

まず、90年から91年のソ連崩壊当時のアメリカの大統領は、ジョージ・H・W・ブッシュでした。後のジョージ・W・ブッシュの父です。彼は、副大統領としレーガン政権を支え、静かにソ連を崩壊へと追い詰めて、軍事紛争を全く排除しながら東欧圏の解放とソ連の崩壊を「実現」したのでした。一方で、サダム・フセインのクエイト侵略問題は、力による現状回復を電撃的に実現しました。

ですが、結果的に「ソ連崩壊後のロシア」に関しては、安定した国民国家としての「国のかたち」形成について、よく言えば当事者に任せてしまい、悪く言えば無責任にも放置したのでした。ただ、ブッシュ(父)の場合は、国内経済の改善が喫緊の課題でしたし、とにかく1期で下野したこともあり、大きな責任を問うのは難しいと思います。とにかくソ連崩壊直後のロシアは、通貨危機、食糧危機が進行しており、国のかたちどころではなかったわけです。

その時期、つまり91年から92年一杯の状況において、ブッシュ(父)ができたことというのは、とにかく戦争の種を摘み取り、国境を確定することぐらいだったと思います。

問題は、次のクリントンです。1993年にクリントンが就任したのと、ほぼ同時にロシアではチェチェン共和国での独立運動が発生しました。この独立運動ですが、クリントン政権としては、当初は民族自決の建前から、チェチェン独立運動を静観する構えでしたし、エリツィン政権のロシア軍がグロズヌイなどに無差別な爆撃を加えることに関しては、調停の姿勢も取っていました。

またアメリカの諜報機関は、ロシア軍の動向をチェチェン軍に流して、間接的に支援していたこともあったようです。アメリカ民主党の中でも、例えばカーターの知恵袋であったブレジンスキーとかは、コーカサス地方におけるロシアの他民族への圧迫は問題であり、ジョージアの自立度向上に加えて、チェチェンの独立も支持する方向でした。ですから、初期のクリントンはその影響を受けていたと思われます。

ですが、ここが歴史の暗部としか言いようのない問題なのですが、1995年前後からチェチェンは徐々にイスラム原理主義の影響を受けてきました。また、この時期からは、クリントンはアルカイダとの暗闘に入っていったのです。そこで、「何か」が変わったのでした。クリントンはチェチェンとの距離を置き始めたばかりか、1996年4月には、人望厚いチェチェンの指導者、ジョハル・ドゥダエフに対するエリツィンの暗殺作戦を幇助した疑いがあります。

一部の資料によれば、ドゥダエフは暗殺を恐れて農村に潜伏していたのですが、必要に駆られて衛星通信による携帯電話交信を行った直後に、誘導ミサイルで暗殺されています。その位置特定という諜報活動は、当時のロシアには不可能であり、クリントンが関与した可能性が高いというのです。

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