プーチンの「モンスター化」を助けた米国が犯し続ける対ロ政策の失敗

 

クリントンとしては、アルカイダなどの原理主義テロは抑えなくてはならないし、同時にエリツィン政権という「決して基盤が強固なわけではない」民主政権を支える「べき」という判断があったのだと思います。諜報コミュニティにおいて「クリントンはエリツィンが共産党に敗れるようなことがあっては困る立場だったんです。ロシアが共産主義に戻ったのは自分のせいだと言われたくなかったからです。だから諜報関係で全面的に協力したんです」という証言もあります。

クリントンとしては、その後の1999年にはコソボ戦役をやって、ロシア正教のセルビアを懲罰して、イスラム教のコソボを助けたことで、バランスを取っていたのかもしれません。ですが、1996年のチェチェン見殺し以降、クリントンのロシア政策は迷走したとしか言いようがありません。これがやがて、1999年には、チェチェン和平の破綻、第二次チェチェン紛争の勃発へと発展していきます。

こうしたボタンの「掛け違え」が壮大なエスカレーションを見せたのが、ブッシュ時代(2001~2009)でした。ブッシュの軍事外交政策ということでは、勿論、その柱は2001年9月の「911テロ」を契機とした反テロ戦争であり、具体的には「アフガン戦争(2001年10月~)」と「イラク戦争(2003年~)」でした。

そのブッシュですが、2000年の選挙の時点では評価はかなり曖昧でした。一般的な世論のイメージとしては「二世政治家として親のプレッシャーで歪んだ前半生だったが福音派の信仰で立ち直った庶民派」という「いい加減」な人物像が語られる一方で、大統領選を戦ったライバルのアル・ゴアは「マジメ一本の堅物」だとされて、庶民派が真面目に勝ったというような、全く無責任な選挙戦が展開されたのでした。

結果的にブッシュが勝ったわけですが、政権が弱体になるという不安感に対しては、共和党筋からは「副大統領にはベテランのチェイニー、外交補佐官にはコンディ・ライスという秀才がサポートする」から大丈夫というアナウンスが散々されていたのを思い出します。

チェイニーはチェイニーですが、問題はライスで、彼女はロシア政治の専門家ということになっていました。そして、実際にブッシュ政権の政治において、ロシア対策を必死にやったのです。それは「対テロの戦い」について、アメリカの姿勢を理解させるという工作でした。

工作は2つあり、1つはアフガン戦争における北方のキルギスとウズベキスタンにおいて、米軍が攻撃拠点を借用することに関して、ロシアに了解させるという点、もう1つは、イラク戦争においてイランやシリアに介入させないという工作でした。

プーチンは、この工作に関してはアメリカに協力したわけですが、同時にこの「反テロの作戦」という「アメリカの大義」を利用したのでした。この時期から、戦闘面で押されていたチェチェン独立派は、一部でテロ活動に走っていたようで、モスクワなどで大規模な事件が起きていました。

プーチンは、この「チェチェンとの戦い」は、アメリカの「サダムやアルカイダとの戦い」と同質の正義であるということにして、結果的にブッシュはこの原理を認めた格好になってしまったのでした。そのプロセスも、とにかくプーチンのやりたい放題でした。例えば、2002年の10月にモスクワで発生したチェチェン独立派によるとされる「劇場占拠事件」では、大勢の観客を人質として劇場内に監禁した事件への対処として、化学兵器が使用されました。

つまり、一部の逃げ遅れた人質には犠牲が出ても構わないので、犯人は全員その場で殺害するという作戦です。ロシアは「緊急避難的な使用」だとしており、結果的に人質が100名以上死亡しましたが、犯行グループは全員が死亡(射殺も含めて)しています。

政治経済からエンタメ、スポーツ、コミュニケーション論まで多角的な情報が届く冷泉彰彦さんのメルマガ詳細・ご登録はコチラ

 

print
いま読まれてます

  • プーチンの「モンスター化」を助けた米国が犯し続ける対ロ政策の失敗
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け