この事件では、「泳がせ疑惑」「おとり工作員による教唆疑惑」などがありましたが、真相究明に動いた複数の人物は後に怪死しています。こうした一連の流れの中で、いつの間にか
「チェチェン独立派はアルカイダと同じテロリスト、従って超法規的に殺害してもいい」
「とにかくチェチェンなど、旧ロシア共和国内の共和国の独立は認めない」
「緊急避難的に化学兵器を使用することが既成事実化」
「真相究明に対して闇の迫害が行われても、知らんぷり」
という状況が確立しました。しかも悪いことに、911以降の戦争遂行に伴って、原油価格は高騰し、プーチンのロシアはビジネスとしても、大いに成功してしまったのです。
状況が変わったのは、2008年でした。北京五輪の開会式と同時進行する形で、コーカサスの独立国であるジョージアは、ロシアがコントロールしている「南オセチア」を奪還すべく軍事作戦を起こしてしまいます。当時のジョージアの大統領である、ミヘイル・サアカシュヴィリが独断で行動したとされていますが、アメリカのネオコン勢力とジョン・マケインが仕掛けた可能性があります。
ネオコンを含めたアメリカの軍事コミュニティとしては、この辺りでプーチンを止めないと大変なことになると焦ったのかもしれません。ですが、結果的にはサアカシュヴィリの作戦は失敗して、ロシア軍に蹴散らされ、かえって南オセチアはロシアに完全に支配される格好になってしまいました。
ということで、ここで登場するのがオバマです。オバマは、個人的にはプーチンというのは、相当に怪しいと思っていた「フシ」があります。ですが、オバマもまた、行動としては徹底しませんでした。
例えば2011年に発生したシリアにおける「アラブの春」では、自由シリア軍とクルド勢力を中心にアメリカが支援し、アサド政権を崩壊に追い込むシナリオもあったはずです。ですが、オバマは、反アサド派の中には当時のヌスラ戦線など「アルカイダ系」が混じっているとして、支援を躊躇。結果的に自由シリア軍を見殺しにしてしまいました。
その結果として、ロシアの支援するアサド軍は、自国民の虐殺を含む反体制派狩りを敢行、大都市アレッポは廃墟となりました。また、化学兵器も使用されて多くの被害が出ました。
一方で、この時期のロシアは、オイルマネーだけでなく、政府の公的資金が不正な形で主要な政治家や大富豪に流れるシステムがありました。彼らの多くは、欧州の銀行を舞台に、堂々と資金洗浄を行って、不正に横領した資金を個人資産に組み替えていたのでした。
オバマはおそらくこの動きを知っていたと思われますが、ここでも徹底対決は回避しています。つまり、2009年からの欧州金融危機においては、銀行の取締りを強化すると、倒れる銀行が出るという中で、欧州の金融界には厳しい規制がかけられなかったのだと思われます。
そんな中で、こうした資金洗浄や公的資金の横領といった「プーチンとオリガルヒの犯罪」を暴露する動きも出てきました。そんな中で、2009年に告発者であるロシアの弁護士、セルゲイ・マグニツキー氏が獄中でロシア関係によって虐殺された事件は世界を震撼させました。そしてオバマは、この事件の再発防止を狙った「マグニツキー法」制定を推進、この時点では、ロシアの「プーチン体制は決して堅気ではない」ということで、オバマや民主党は腹を括っていたのだと思います。
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