『鎌倉殿の13人』で注目。源平合戦から平家滅亡直後までに日本で起きた異変

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NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(日曜午後8時)で注目が集まる源平合戦。源氏と平氏の戦いに焦点があてられていますが、その裏ではさまざまな重要な出来事がこの時代に起きていました。メルマガ『歴史時代作家 早見俊の「地震が変えた日本史」』の著者である早見さんは今回、平家の滅亡直後に起きた大きな地震と重要性が見直され始めた合戦中の飢饉について語っています。

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平家の祟りか 文治地震と改元

平家が壇ノ浦の戦いで滅んだのは元歴2(1185)年3月24日です。そのおよそ4カ月後の7月9日(新暦では8月6日)の正午、推定マグニチュード7.4の大地震が京都を中心とした畿内を襲いました。

死者の数は不明ですが多くの神社仏閣が倒壊し、宇治橋が落下、琵琶湖の水が北流して湖岸が干上がったそうですから、大きな被害をもたらしたのは間違いありません。

具体的に記しますと、現在の京都市岡崎公園にあった法勝寺の九重塔が崩れ落ち、阿弥陀堂と金堂の廻廊、南大門、西門が倒れました。法勝寺以外にも法成寺の全ての回廊が倒壊、東塔も大きく傾きます。

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琵琶湖の水は北に流れて岸辺が干し上がったそうです。その後、逆流して元に戻り、田圃が裂けて淵になった、と伝わります。

また、現代の調査により震源は琵琶湖西岸断層帯活動説、もしくは南海トラフ地震説が唱えられています。

平家滅亡直後に起きた為、平家の祟りだという噂が流布したそうです。余震は3カ月も続いたそうですから、大地が揺れるたび、都の人々は平家の怨霊に怯えたのかもしれません。

同時代を生きた歌人で随筆家の鴨長明は名著、『方丈記』で、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びたりて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし」という名文を記しています。

流れ過ぎてゆく河の水は途絶えることがなく、それでいてそこを流れる水は元の水ではない。よどみに浮かんでいる水の泡は、一方では形が消えてなくなり、一方では形ができたりして、長い間そのままの状態で消えるものではない。この世を生きる人と住む場所は河の流れと泡のようである、という意味です。

何とも達観したというか無常観が漂う文章ですね。

そんな長明はこの地震についても記しています。地震被害の大きさ悲惨さを書き、誰もがこの世の虚しさを嘆いている様を記した後に、年月が経過したら誰も地震のことなど口にしなくなったとも記述しました。

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