与党大勝ではなく野党大敗。立民が描くべき「中進国」日本の未来

 

旧立憲から旧民進、旧民主へと遡る

2017年10月、総選挙を前にして当時の旧民進党の前原誠司代表が自力で戦う気力を失って、小池百合子におんぶに抱っこの「希望の党」への丸ごと合流という奇矯な方策に打って出た。この時、小池が旧民進内の左派やリベラル派を「選別排除する」と言い出し、それに反発した枝野幸男が赤松広隆ら「サンクチュアリ」グループや菅直人の支持勢力などと共に旧立憲民主党を立ち上げたのは、誠に機敏な行動で、15年の安保法制反対の大規模な国会包囲デモを担ってきた市民運動、旧総評系の労組、シニア世代などがこぞって支持。選挙前の16議席を3倍以上の55議席に伸ばして忽ち野党第一党の座にのし上がった。

しかし、私に言わせれば枝野がよかったのはそこまでで、旧立憲も、20年に旧国民民主党その他と合流して出来た現立憲も、かつての旧民主党と違って、それなりの歴史観を背景としたあるべき日本の構想とそれを支える戦略・戦術論を持って自民党に政権交代を迫るという具合にならなかった。

その最大の原因は、枝野が21年5月に出した『枝野ビジョン』(文春新書)の第11章「地に足の着いた外交・安全保障」で書いているように、本来はそれこそを自民党政権との中心争点にしなければならないはずの外交・安保について「私は、短期的な外交・安全保障政策について、政権を競い合う主要政党間における中心的な対立軸にすべきでないと考える」と断言してしまっていることにある。

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確かに彼は、集団的自衛権容認など安倍政権の政策方向を現実離れしていると批判し、また地位協定の改定や辺野古基地建設中止を唱えてはいるけれども、それらは「健全な日米同盟を基軸とする」という大前提の下でのことと位置付けられている。また「尖閣防衛」についても、それが米日の好戦勢力によって今にも起こるかに宣伝されているイデオロギー攻勢であることを暴露せず、彼らと同じ地平に立って軍事力による対処を主張し、米軍が頼りにならなければ「日本独自の対応力を強める」と、丸っ切り自民党右翼と同曲を奏でていて驚かされる。

これでは永遠に自民党政権に対する対抗軸を形成することは出来ず、従ってまた他の野党との連携や協力の可能性を追求することも難しい。

「小日本主義」の日本への転換を議論したら?

96年の旧旧民主党は、対外政策の第1項に「常時駐留なき安保」を掲げ、沖縄はじめ日本全土の過剰な米軍基地の存在を一つずつ吟味しつつ交渉し、日米安保がある下でも基地を減らしていくことは可能だと主張した。それが、「日米安保基軸」で凝り固まった自民とは決定的に異なると同時に、旧革新=左翼陣営の「安保廃棄一本槍」(を勇ましく唱えながら実は何もしない退廃)ともはっきりと袂を分かった、新しい時代の「リベラル」の目指す道であることを示そうとしたのである。

また国内の統治に関しては、明治以来の薩長田舎侍の国権主義剥き出しの中央集権による「大日本帝国主義」の伝統を100~150年ぶりに転覆して、「地方主権国家」の連合体による「小日本主義」という国の生き方に向かうべきとする考え方を採っていた。

これらのラディカルな内外戦略は、98年に旧新進党から分かれてきた人々と一緒に旧民主党が再結成された際に正しく継承されることはなかったが、しかしコアの人々の胸にはそれが深く刻まれていた。私の見るところ、そういうコアがあればこそ、時間はかかったけれども旧民主党が政権交代を迫るところにまで力をつけることが出来たのである。今回の惨敗を受けて泉健太代表から「力不足」という言葉が漏れたが、どうも、どのような「力」が不足しているのかを分かっていないように見えた。

旧旧民主党の「大日本主義」を超克しようとする理念は未だ達成されず、今の自民党政治は安倍であれ岸田であれ、皆「大日本主義」の延長上にある。それこそが日本社会の閉塞の根本原因であることを思えば、この際、改めて今日時点での大胆な「小日本主義」への転換構想を描いてみてはどうだろうか。

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