無個性だと思っているのは自分だけ。実は日本人って「とても個性的」だ

Young asian people working in the office. Co-working space. Social distancing.
 

以前、日本のある社団法人の集会がLAでありました。レストランの会食時、数人が野外の喫煙所で休憩しました。東北と関西と九州の代表者たちが、それぞれの地方色について雑談していました。大阪人おもろいでっせ。東北の人間はやさしいなぁ。福岡人はみんなお酒強いよ。他県の人間が集まると必ずといっていいほど、出てくる例の県民あるある、です。「同じ日本なのに、全然違うねー」とかなんとか。

そこに、メキシカンかエクアドル人かヒスパニック系の清掃のおじさんがやってきて、いきなりデカい音を立てながら灰皿の交換をし始めました。ドッカン、ドッカン、金属音を立て、まだみんな吸っている中、吸い途中のタバコごと捨てていきます。

NYから来た僕はついつい「おいおいまだ吸ってるじゃん」とクレーム。LA代表の年配の日本人は「いつもご苦労さん」と肩を叩きながらその清掃員を労います。英語が話せないということを差し引いたとしても、日本からの3人組は口を開けて、固まったまんま。日本じゃ見ない光景なのはわかりますが、しばらく口は開いたまんま、気をつけの姿勢。

全員がシンクロナイズドスイミングのごとくまったく同じ体制。県民によって、全然違うんじゃなかったの?県民性の違いは違いではない。世界の人から見た際、自己申告の「性格」を“個性”とはやっぱり言えないのだと思います。

では、世界から見て日本人の個性とは、ずばり日本製のプロダクト、もしくは日本流のサービスなのだと思います。もっと言うならそれらを制作、提供している事実。その人の、その体現方法がそっくりそのまま「個性」になっている。

そして、世界はそれ以外、認識しようがない。

ベタですがいまだにMADE IN JPANの車の信用性は世界でズバ抜けています。一時期ほどの市場シェアでないにしろ品質への信頼は絶大です。もちろん車だけではありません。日本製におけるプロダクトは、アパレルであれ、電化製品であれ、雑貨であれ、食品であれ、スポーツ用品、文房具まで、すべてが「高品質」のイメージです。いまさら力説するのも恥ずかしいくらい、当の日本人も含めみんな知っている常識です。

淡々と、とにかく品質のいいものを作る、もしくは提供する。それって世界から見たら、めちゃくちゃ「個性的」と言えます。実際、僕の周囲のニューヨーカーもそれらを個性的というイメージで話します。「真面目でいいモノ作るよねぇ、日本人って」って。

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