4.経済不況とファッション
そもそもファッションを楽しむには、ある程度の経済的余裕が必要だ。最低限度の衣食住の生活環境が整備されてから、ファッションへの興味が生じる。
もし、経済不況が人々の生存を揺るがすほどのものになれば、ファッションは消えるのだろうか。
ファッション消費は消えるかもしれない。しかし、ファッションは消えない。
世界中でマスクが消えた時、日本人は布マスクを自作した。縫製工場ばかりではなく、一般の人々が作り始めたのだ。家庭用ミシンが売れ、マスクに使うゴム紐が品薄になった。
一方、世界の工場、中国には布マスクという発想がなかったようだ。彼らは、ブラジャー、ガラス鉢、瓢箪、ナプキン等をマスクの代わりに使用していた。
もし、日本人が経済不況で貧しくなっても、リフォームやリサイクル等、自作ファッションを楽しむに違いない。お金がなくても、ありあわせのモノでアクセサリーを手作りする人は大勢出てくるだろう。
問題は「ファッションを楽しむ心」の有無である。お金があればラグジュアリーブランドを楽しみ、お金がなければ、古着やワーキングウェア、リサイクル等のチープシックを楽しむ。
世界的大不況が到来した時こそ、ファッションセンスが問われるのである。
編集後記「締めの都々逸」
「どんな時でも 己を磨き 明るく微笑む強い人」
どんなにお金がなくても、ファッションはなくならないというのが私の信念です。制服が決まっていても、ソックスの折り方を工夫したり、髪ゴムを工夫するのが日本人だからです。日本人は1,000年以上、着るものを常に意識してきた民族です。そして、流行もあったんですね。流行があるというのは、常に新しいものを求める好奇心があるということです。
その上、服に対して、とても想いが強い。昔は袖を千切って好きな人に渡したり、袖を振る動作で気持ちを伝えたり。きものには魂が宿るので形見になるんですね。
ですから、本来、服は作るものであり、金で買うものではないのです。これは、ヨーロッパ人にも共通する考え方だと思います。米国は新しい国なので、最初から大量生産の服を着ていました。中国も同様です。手作りの服という文化がないんですね。
基本は自分で作る。金がなくても作ればいい。作らなくても、刺繍を入れたり、絵を描いたりすればいい。それで自分のオリジナルになります。ですから、ファッションはなくならないのです。(坂口昌章)
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