無策で低レベル。なぜ野党はいつも「ここ一番」で必ず自滅するのか?

2022.10.14
 

野党の政治家たちは、自分たちの政権が国民の支持を失い、今日に至るまで、国民の信頼を取り戻せない1つの大きな理由が、「官僚と良好な関係を築けず、政権運営に窮してしまった」ことだということを、忘れてしまったのだろうか。「野党合同ヒアリング」の様子をテレビで観た多くの国民は、「やっぱり、官僚と関係を築くことができない。政権を任せるわけにはいかない」と思ってしまった。

それに、野党の政治家は、政治家と官僚の「権力関係」への配慮がなさすぎた。政治家は、たとえ野党とはいえ、官僚に対して「権力」を持っている。だから、野党からヒアリングをすると言われれば断れないのだ。その権力を持つ野党が、官僚を並べてテレビカメラの前で罵声を浴びせ続ければ、「パワーハラスメント」が成立する。パワハラに対する国民の見方は非常に厳しい。野党はそのことに対する配慮が足りなさすぎた。

現在、立民など野党は、旧統一教会と自民党の関係が次々と発覚し、岸田政権の支持率が低下する状況に、好機到来とはしゃいでいる。だが、政策はそっちのけである。これは、安倍政権時の政策に対する批判を放棄し、スキャンダル追及という安易な道に走った時と、なにも変わっていないことを示している。

要するに、立民など左派野党は、これまで「批判型」でも「提案型」でもなかった。野党の役割をまったく果たせていなかったために、自民党政権の「一強体制」を許してしまったといえる。

今後、「批判型」を目指すというならそれもいいだろう。しかし、まずは岸田政権の政策を徹底的に批判することを通じて、机上の空論ではない、現実的な対案を練り上げる「提案型」にもならなければならない。「批判型」でもあり「提案型」でもあるという、英国などの野党のレベルに、自らを高めなければなければならない。

最後に、野党にエールを送りたい。私はかつて、社会民主党の政審会長だった伊藤茂氏とお会いしたことがある。伊藤氏は、「戦後、農地改革以降の経済政策は、全部革新が考えた。それを、保守政権がカネを付けて実行した」と自慢げに語った。

農水省の「革新官僚」だった和田博雄は、戦後に閣僚としてとして「農地改革」に取り組み、後に社会党副委員長となった。1960-70年代、公害などの都市問題に取り組む環境政策や福祉政策は、社会党などが支持した「革新自治体」から生まれた。しかし、自民党政権はその成果を自らのものとした。環境庁を発足させ、「福祉元年」を打ち出したのだ。そして、革新自治体が実行した環境政策や福祉政策を「国の政策」とし、予算を付けて、全国の自治体で一律に実施したのである。

この流れが近年も続いている。「女性の社会進出」「子育て支援」「LGBTQをはじめとするマイノリティーの権利拡大」など、安倍政権期に次々と実行された政策は、元々野党が先行して取り組んでいたものだ。

前原誠司・民進党代表(当時)が打ち出した「消費増税による教育無償化」と酷似した政策を、安倍首相が2017年総選挙で自民党の公約にしてしまったのは記憶に新しい。そしてこの政策は、選挙に大勝した安倍政権によって実行されてしまった。

野党が考案した政策を、予算を付けて次々と実行してしまう自民党のしたたかさは恐るべきものだ。一方で、時代の先端をいく政策にまず取り組んできた野党の「革新性」も高く評価すべきだろう。かつての野党は、決して「なんでも反対」だけではなかったのだ。

現在、日本は、IT化、デジタル化、新しい産業の育成、女性やLGBTQなどの基本的人権の尊重などで、世界から大きく遅れている。自民党は、さまざまな政策課題に一応取り組んでいるのだが、残念ながら「「Too Little(少なすぎる)」「Too Late(遅すぎる)」「Too Old(古すぎる)」なのが問題だ。

だが、それは野党が時代の先端の課題に取り組む「革新性」を失っていることも一因である。野党が、新しい政策課題に自民党よりも先に取り組み、新しい政策を提案してこそ、日本は世界に追いつくことができるのだ。野党は、自らの本当の役割を強く自覚すべきなのである。

image by: 立憲民主党

上久保誠人

プロフィール:上久保誠人(かみくぼ・まさと)立命館大学政策科学部教授。1968年愛媛県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、伊藤忠商事勤務を経て、英国ウォーリック大学大学院政治・国際学研究科博士課程修了。Ph.D(政治学・国際学、ウォーリック大学)。主な業績は、『逆説の地政学』(晃洋書房)。

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