無策で低レベル。なぜ野党はいつも「ここ一番」で必ず自滅するのか?

2022.10.14
 

二大政党制の英国の政治は、「交代可能な独裁」と呼ばれることがある。政権党が議会で単独過半数を得るため、政権はほとんどの法案を無修正で通すことができるし、実際にそうするからだ。端的にいえば、英国議会の法案審議は、ほとんどが日本でいえば「強行採決」である。

一方、議会での野党の役割は、徹底的な政権批判である。ここでは「批判型野党」である。

野党が、議会で「批判的野党」に徹するのは、日本のように議会で政権と協議して妥協を勝ち取り、自らの主張を実現することができないからである。野党は、徹底的な批判を通じて、政権の支持率を落とし、野党の支持率を上昇させることに徹する。それは来たる選挙に勝利し、政権交代を実現するためである。

だが、選挙になると、野党は「提案型野党」に変化する。「マニフェスト」と呼ばれる政権公約集を提示して、政権与党と競うのだ。マニフェストとは、「有権者団との約束」という意味で、そこには、経済、財政、福祉、社会保障、教育、環境など項目別に、政策とともに財政的裏付け、数値目標、実施期限なども記されている詳細なものだ。選挙で勝利し、政権を獲得すれば即、実行できるだけのものが練り上げられている。

なぜ、野党は詳細なマニフェストが作成できるのか。それは、議会活動での徹底した政権の政策の批判がベースとなっている。徹底した批判を貫徹するには、政権の政策をありとあらゆる角度から詳細に検証し、さまざまな問題点を洗い出す必要がある。そして、政策のあらゆる問題を理解するからこそ、その解決策として、対案を提示できるのである。

翻って立民など日本の野党はどうだろうか。まず、「批判型野党」というが、本当に批判型になっていたのだろうか。安倍政権時代の様々な重要課題の国会審議を振り返ってみる。「特定秘密保護法(2013年)」「安全保障法制(2015年)」「テロ等準備罪(共謀罪)法(2017年)」「働き方改革法(2018年)」「IR実施法(2018年)」などである。

これらは、法案審議で、維新の会など一部の保守系を除く左派野党が、法案の問題点を批判するのではなく、法案の存在自体を全否定して「廃案」を求めて審議拒否した。それに反発した与党との間で協議の場がなくなり、ほぼ無修正のまま強行採決で成立したという共通点がある。

要するに、野党は「批判型」だったわけではなく、批判という野党の役割を放棄してしまったのだ。私は、このような野党の「廃案追求路線」は「零点」だったと考える。

また、野党は「森友学園問題」「加計学園問題」など、政権側に度々起こるスキャンダルに飛びついた。政権の政策の問題点を徹底的に検証する作業を放棄し、安易に政権の支持率を低下させることを選んだのだ。

しかし、その手法が問題だった。例えば、野党が官僚を国会内に呼び出して行う「野党合同ヒアリング」だ。不正にかかわった省庁の官僚を国会の部屋に呼び、多くの野党議員が次々と厳しい質問を続ける。その様子を、しっかりテレビ局に撮影させて、各局のニュース番組で放送させた。しかし、いくら官僚を吊るし上げるようなことをしても、野党の支持率はさっぱり上がらなかった。

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