振り返れば、8月の内閣改造で山際氏を経済再生担当大臣に留任させたこと自体、岸田首相にすれば悔やんでも悔やみきれないのではないか。そのころにはすでに、教団との繋がりが指摘され始めていた。山際氏と教団の関係についてはある程度、官邸も把握していたはずである。
内閣改造が行われた8月10日の記者会見で、岸田首相はこう語っている。
「政権の骨格として、松野博一官房長官、林芳正外務大臣、鈴木俊一財務大臣、斉藤鉄夫国土交通大臣、山際大志郎経済再生担当大臣には留任いただきます」
山際大臣は政権の骨格を担う1人だから留任させたという。そして、こう続けた。
「今回の内閣改造に当たり、私から閣僚に対しては、政治家としての責任において、それぞれ当該団体との関係を点検し、その結果を踏まえて厳正に見直すことを言明し、それを了解した者のみを任命いたしました」
つまり、山際氏は経済再生担当大臣を続けるにあたって、統一教会との関係を点検し見直すことを岸田首相に約束したはずである。
ところが、山際氏は記憶がない、記録もないと言い続けている。それでは点検のしようがないではないか。自分から言うのは損だと思っているのか。よほど知られたくないことを隠していて、それにつながるかもしれない材料を公表するのが怖いのか。とにかく黙っておいて、報道されたら、仕方がないからそれを事実と認めるというのを原則としてきたフシがある。
しかし、それは愚かなことだった。安倍・菅政権下で、モリトモ・カケ・サクラなどの疑惑が浮上するたび、知らぬ存ぜぬとウソをつき通してほとぼりが冷めるのを待ち、逃げ切りをはかる流儀が横行したが、それに倣おうとして墓穴を掘った形だ。
ともあれ、野党のいちばんのターゲットを閣外に放逐し、岸田首相はひとまずホッとしているだろう。だが、新たな不安も、もたげてくる。矛先が他の閣僚に向かい、“辞任ドミノ”とやらが起きないとも限らないのだ。統一教会との癒着だけでなく、政治資金や資質の問題も浮上している。
統一教会と政治の根深い癒着構造を断ち切るには、政権の命運を賭して大鉈を振るう覚悟が必要だ。岸田首相にそれができるだろうか。
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