何かあればすぐに「すいません」の日本。もはやビジネスになりつつある“謝罪”

asian businessman bowing for apology
 

日常の中、接する「謝り」が多すぎる

身近なことをきっかけに、「謝り」について考えてみた。日本人は幼い頃から礼儀作法を教えられており、悪いことをしたらすぐに謝るだろう。「ありがとう」「ごめんなさい」という言葉は、家族間でもよく使われる。親もよく子供に「ごめんね」と言うよね。外で人にぶつかったら、ぶつかった人が謝るだけでなく、ぶつかられた人も謝るのが習慣になっている。

しかし、日常の中で接する「謝り」が多すぎるという感覚もある。仕事柄、普段から接している広告代理店のある男性は、他人に何も悪いことをしていないのに、「すみません」を口癖にしている。彼にとっては、「すみません」がほとんど挨拶になっているらしい。

また、不用意な謝りや見下したような印象を与える謝る事情もある。例えば、ある日本人の友人は、自分の会社にいつも会議に数分遅れてきて、毎回多くの人を待たせている課長がいると言っていた。いつも遅れてから「ごめんね。忙しくて…」と軽く謝ることで、実は自分の存在を示すためだけなのだと友人が断言した。因みに、当方も「ごめんね」という言葉があまり好きではない。

文化の違いは、謝る仕方にも表れている。ここ数年、日本企業でも外国人社員が増え、いつも謝っている日本人と、謝ることに慣れていない外国人の間で、職場の文化摩擦が起きてしまうだろう。

普段、日本人が謝ることは、補償や責任といった要素とはほとんど関係がない。何かがあって、自分が悪いことをした、過失があったと思ったら、すぐに謝る。一方、海外の人たちは、謝ることは自分が悪い、何らかの責任があるという意味だと感じているらしい。謝ることより、ユーモアを交えて恥ずかしさを紛らわす。

以下のようなアメリカンジョークがある。

Customer: Excuse me, but I saw yourthumb in my soup when you were carrying it.

Waitress: Oh, that’s okay. The soupisn’t hot.

客:「すみませんが、そのスープを運んでくるときに、あなたの親指が入っていたのを見たんですが…」

ウエイトレス:「大丈夫です。スープが熱くないのでやけどしていません」

以上のようなジョークは日本では考えられないだろう。日本の場合は、スタッフは直ちに謝るだろう。日本サービス業界には謝ることが常態である。

日本人にとって、謝罪は物事を正すための手段であり、より良いコミュニケーションのための潤滑油でもある。一方、外国人は、些細なことで謝りあうのは時間と感情の無駄だと感じているかもしれない。

例えば、グローバル企業の中、仕事の進め方が悪かったり、ちょっとしたミスをしたときに、上司が改善を促すと、日本人社員はすぐに頭を下げて謝りがちだが、外国人社員は「ありがとう」と言うべきと考え、楽観的、前向きな姿勢を示す。仕事で同僚に助けられたときも、謝らずに「ありがとう」と言うべきだと思われる。

信じられなくて不思議な「謝る」もある。政治家や芸能人が浮気をし、その妻が世間に謝罪するなど、そして、アーティストの息子が罪を犯し、アーティストが記者会見を開き、鼻息荒く謝罪する。本来は当事者の自己責任であるではないか。このような謝罪は、日本でも賛否両論ある。

息子は成人しており、自身のしたことに全責任があるのだから、親が責任を取る必要はない、という意見もある。しかし、世論の多くは、やはり息子の不始末と両親の子育て不足が大きな要因だと考えているようだ。

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