こうなると、浅野の家中というのは、「正論で殿を追い詰め、切腹にまで追いやったろくでもない連中」ということになってしまいます。
これでは、家がお取り潰しになったあと、日本中、どこも雇ってくれる家中などありません。
江戸詰めの家臣たちのわがままな主張によって、殿が死罪となり、藩もお取り潰しになるのです。
赤穂にいる家臣たちにとっては、いい迷惑です。
ですから、今後のことを決める赤穂での評定も、揉めにもめます。
そしてかくなるうえは、主君の主張を、それは浅野の家中の主張として、世の中に明確に示さなければならない。
そのためには、室町以来の伝統の承継者である吉良殿を討つほかはない、という結論に達するわけです。
この場合、討入をした志士たちは、おそらくは全員が死罪となります。
なにしろ時は、将軍綱吉の治世なのです。
討入事件を起こして死罪にならないことはありえない。
けれど、主君の思いを晴らした元藩士たちということになれば、元播州赤穂藩士たちは、日本全国の大名たちから、引く手あまたになる。
そしてこれは目論見通りに、そのとおりになっています。
そういう意味で、堺屋太一氏の『峠の群像』は、実に良いところを突いた小説であったわけです。
ちなみに堺屋さんは、その名の通り大阪商人の家系で、大阪商人は赤穂事件のときの天野屋利兵衛の義理固さを身上としたという歴史があります。
天野屋利兵衛そのものの実在については、京都の呉服商の綿屋善右衛門がモデルであったのではないかなど諸説ありますが、いずれにしても、利に敏いはずの商人が、武士なみの義理堅さを身上としたことが、その後の大阪商人の気風となっていったことは事実であろうかと思います。
日本をかっこよく!!
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