死罪か、引く手あまたか。『忠臣蔵』赤穂浪士の「再就職」がかかっていた吉良邸討入り

AKO, JAPAN - JULY 18, 2016: Statues of famous 47 ronin in the Oishi Shrine. Shrine is dedicated to 47 loyal samurai (described in Chusingura tale) and is located on the grounds of Ako Castle, JapanAKO, JAPAN - JULY 18, 2016: Statues of famous 47 ronin in the Oishi Shrine. Shrine is dedicated to 47 loyal samurai (described in Chusingura tale) and is located on the grounds of Ako Castle, Japan
 

年末といえば「忠臣蔵」。赤穂浪士の討入は行われた理由については多くの説がありますが、なかでも面白い解釈を見つけたのは作家でユーチューバーの顔も持つ、ねずさんこと小名木善行さん。小名木さんは自身のメルマガ『ねずさんのひとりごとメールマガジン』の中で堺屋太一さんの説について詳しく語っています。  

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赤穂浪士と就職戦

堺屋太一さんは、すきな作家です。

たぶん、氏のご著書は全部読んでいると思うのですが、その堺屋さんの著書に、忠臣蔵を描いた『峠の群像』があります。

たいへんにおもしろい本なのですが、この本の中で堺屋氏は、赤穂浪士の討入は、彼らにとっての就職活動であったのだという説をとられていました。

この本が出たのは昭和57年のことで、世はまさに高度経済の真っ只中。

そんな中にあっても、大手や中堅企業の倒産は多々あったわけで、そうした企業から放り出されたサラリーマンたちが、再就職に苦労し、また再就職できてもそれぞれの企業が持つ社風と、新たに就職した企業との社風の違いなどに苦労し、それならと、元倒産した会社の社員たちが集まって起業し、夢やぶれてその会社も倒産に至るといったケースは、世の中に多々あったわけです。

そうした当時の空気の中で、忠臣蔵の大石内蔵助以下四十七士たちだって、再就職のために命がけで働き、最後は夢やぶれて散っていったのだとする堺屋太一氏の小説は、多くのサラリーマンたちの共感を得たものとなりました。

ただ同時に、赤穂の浪士たちが「再就職のために」討入事件を起こしたという解釈は、当時、赤穂事件は「主君の仇討ち」という見解しかなかった時代にあって、「同じストーリーであっても、解釈次第ではまったく違う解釈が成り立ちうる」ということを示した本として、まさに世の目を覚まさせる衝撃があったわけです。

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