また、16世紀頃から「学歴主義」が横行していた欧州では、ジョブ型雇用を徹底し、どんな学歴でも高いスキルさえあれば稼げる仕組みを作りました。
官庁だけは学歴主義が残っていますが、企業は求められるスキルで賃金が決められています。ジョブ型により「どこの大学を出たか?」は大きな問題ではなくなったのです。
かたや日本では、明治政府がフランスの学制にならって近代的学校教育制度を取り入れ、明治2年に東京大学を開校(開成学校を改称)。その後は、東京大学、京都大学、名古屋大学、東北大学、北海道大学、大阪大学、九州大学の7大学を帝国大学を頂点とするヒエラルキー型の伏線的な学校制度が作りました。
この頃から高学歴を身につけた者に対し、非常に高い賃金が支払われるようになり「学歴主義」が社会の中核的組織である企業にまで広がったのです。
その後も学歴主義は、形をかえながら続いています。
その鍵をにぎるのが、「新卒一括採用」です。
高度成長期には指定校制が堂々と行われいましたし、その後は「青田買い」が横行。やがて「学歴フィルター」と、時代と共にやり方こそ変わってきましたが、「どこの大学を出たか?」でその人の評価や社会的地位を決める「学歴主義」は全く変わっていません。
だから、新卒一括採用は辞められないのです。
「欲しい大学の学生」を首尾よく採用するには、新卒一括採用は好都合の採用方式であり、就活が完全にデジタル化したことで、「学歴主義」は完全にブラックボックス化しました。
ジョブ型雇用も例外ではありません。
ジョブ型フィーバーが吹き荒れる中、頻繁に使われるようになった「有能人材」という言葉の裏側にも、学歴主義は存在しています。
もし、本気でジョブ型にするのなら、通年採用にして、一旦就職した後でも大学に戻れる仕組みが必要だし、それが日常化してこそスキル向上につながります。
そして、今働いている専門職の人たちの賃金と社会的地位向上にも、手をつけなきゃ意味をなしません。
・・・あえて言わせていただくと、働く人たちも雇われないで生きるにはどうすれば良いかを、真剣に考えた方がいいと思うのです。
出世のために働くのではなく、同僚や上司、他者のために働くのでもない。
誰かに命令されて働くのではなく、「自分が生きていくために、どう働くか?」。
だって「幸せになるために働いている」のです。、
「自分の人生は自分で決める」勇気さえあれば、同じ稼ぎでも満足感は変わります。
とまぁ、あれこれ書きましたが、「コロナで日本は変わるかも」という期待は2022年で木端微塵に砕け散りました。
あれこれ新しい言葉が横行するだけで、根っこは変わりません。
この現実をしかと受け止め、2023年をぴょん!な一年にすべく、勇気と誠実さと、ゆるさと笑いを大切にしましょう。
みなさんのご意見、お聞かせください。
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