18日に放送されたラジオ番組、ニッポン放送「オールナイトニッポン」の特別番組で、タレントのタモリが、昨今の日本語について疑問を呈したことが大きな話題となりました。さまざまな意見がネット上に出ましたが、今回のタモリ発言を「言葉のプロは」どう見ているのでしょうか? メルマガ『前田安正の「マジ文アカデミー」』の著者で朝日新聞の校閲センター長を長く務めた前田さんは、タモリの意見に理解を示しながら、「とか」や「なります」という言葉に対する違和感の正体について解き明かしています。
こちら「とか弁」とかになります。タモリの主張に「わかる~」と思う訳
2月18日のラジオ「オールナイトニッポン」に、タレントのタモリさんが出演するというので、楽しみに聴いていました。
そこで、最近よく使われる「とか」「~になります」という言い方が、気になると話していました。それに対して、ネットでいろいろと話題になっていました。
少し前に「徹子の部屋」というテレビ番組で、最近の状況を「新しい戦前」と称した発言も相まって、話題になったのだと思います。
40年続いた深夜バラエティー番組の「タモリ倶楽部」も、3月で終了になるといいます。放送が始まった1982年は、僕が社会人になった年でもあります。イグアナのモノマネや4カ国語麻雀といった芸をしていた時代から見ていたファンの一人としては、一時代が終わったような寂寞の感を禁じ得ません。
ということで、今回は「とか」「~になります」について、考えていこうと思います。
ああ、それわかる~
ラジオのなかで、タモリさんは「ご飯とか食べに行かない?」という言い方はどうも釈然としないと話しています。「とかは、他にもあるっていうこと。関連させることを言わないと」いけない。「ご飯とか食べた」というなら、「ご飯の他に何があるのか」を言うべきだというのです。
僕は「わかる~」と思う人間の一人です。
さらに「~になります」についても、「こちらカツ丼になります」と言って運んでくるのはおかしい。すでに「カツ丼になっている」ものを運んでいるんだから、と言います。
もし「カツ丼になります」というなら「油、豚肉、パン粉、卵、衣。ご飯」を持ってきて言うべきだ。そこから「ほら、カツ丼になったあ」という具合に見せるなら「これがほんとの、なります」だというのです。
ことばから見える様々な視点
番組の冒頭、最近怒ることがなくなってきたと話していたことを受けて「おれ、怒ってるわ」と言っているのです。これは、半分シャレのようなものだとは思うのですが、かなりことばについても考えているのだな、という印象を持ちました。
番組が進むと校正者・大西寿男さんを取り上げたテレビ番組にも触れて「校正の仕事って、誤字脱字を直すだけじゃないんだ。小説家の文章を削ったりもするんだ」と言う発言があったり、「辛」と「幸」の字源の違いを挙げて「幸せって、前の上を見て願うもんじゃなくて、後ろの下を見て感じるもんだ」というようなことを話していたりしたからです。
ことばを通して、いろいろな見方や考え方ができるという視点に共感を覚えたのです。
コミュニティー方言としての「とか弁」
「ご飯とか行かない?」という聞き方には、「ご飯じゃなくてもいいし、お茶だけでもいいんだけど」という含みもあるように思います。また「別に断るなら断ってもいいよ」と、相手に断られたときのショックを和らげるクッションをそこに抱えているように思います。つまり、相手への忖度を含んだ薄い衣をかぶせた守りの表現なのです。
「カツ丼になります」も、「注文したカツ丼に間違いないでしょうか」という確認を含んだ独り言のような感じがします。ここにも、相手や自分を傷つけないという心理的な要因があるのでしょうね。
周囲への忖度や自己防衛ではないか、という後付けの分析はできます。しかし、このことばを使っている人たちが、必ずしもこうしたことを意識しているわけではないと思います。
周囲が使っていることばを自分も使っているだけのことです。つまり、一種の仲間うちで使われるコミュニティー方言とでもいうべきことばなのです。その証拠に、正式な文章や上司に対しては、まず使われることがないからです。
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