タモリが激怒した今どきの日本語「とか」「なります」はアリかナシか?

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人気タレントのタモリさんがラジオ番組で指摘した、「とか」や「なります」といった表現に対する違和感。その是非をめぐる議論がネット上を中心に繰り広げられていますが、識者はどう見るのでしょうか。今回のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』では米国在住作家の冷泉彰彦さんが、上記2つの表現の成り立ちについて考察。その上で、両者の進化について「相当に洗練されたもの」と結論づけるとともに、言語に対する自身の見解を記しています。

※本記事は有料メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』2023年2月21日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。

タモリ「日本語の変化」痛烈ダメ出しに疑問符。時代で言葉は変容する

タレントというよりは、日本を代表する知識人の一人であるタモリこと森田一義氏は、「日本語の変化」に苛立ちを見せ、「ごはんとか食べて」「カツ丼になります」に痛烈なダメ出しをしたそうです。

具体的には、2月18日に放送されたラジオの特別番組『タモリのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)で、現代の言葉遣いへの苛立ちを語ったそうです。

まず、「ごはん“とか”食べて」という表現には、「“とか”ってことは、ほかにも何かあるということ。関連させることを言え」とダメ出しをしたそうです。

この「とか」の意味ですが、確かに日本語の「正統」と言いますか、いわゆる20世紀末のアナウンサー用語的なスタンダードから見れば、「選択肢が複数ある」という意味に取れる、そんな用法に聞こえます。

具体的には、来客があり、そろそろ夕飯の時間になったとして、「ご飯とか食べる?」という発言が出たとします。この場合は、「ウチでご飯でも食べていく?」「それとも、どこか一緒に外食に行く?」「いっそまず酒かな?」「それとも風呂?」「いやいや、あなたは家族が大事だからご飯は自分の家帰って食べなさいよ」などといった複数の選択肢がある場合に聞こえます。

ですが、近年の日本語におけるご飯「とか」の「とか」は違うのです。

「ご飯『とか』」という表現はいかにして成立したか

話者の方からは、

「自分はあなたを大切にしたい、もてなしたい、真剣にご飯を食べていって欲しい」

「でも押し付けがましいのは失礼だし、もしかしたら気分を害するかもしれない」

「中には過剰な善意に対しては、返礼のプレッシャーに潰されそうだからかえって最初の善意に反感を持つなどという面倒な人も増えてきた」

という心理的な計算が働くわけです。だから「ご飯を食べていきませんか」という勧誘の表現であっても、可能な限り「主張をソフトにボカす」ことで、丁寧さを出さねばならないのです。

そこで出てきたのが、「じゃあ、ご飯という主題をボカしてしまおう」という発想です。それが「ご飯『とか』」という表現になってきているわけです。

比較してみましょう。「ご飯を食べていきませんか?」「ご飯『とか』食べていきませんか?」と並べてみると、やはり後者のほうがソフトであり、人によっては好感を持つというわけです。

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