4.ハッピーリタイアメントと休日の生活
定年退職する時、欧米では「ハッピーリタイアメント」のグリーティングカードを贈られるそうです。それほど、皆、定年退職を楽しみにしています。ようやく会社から解放され、自由に生きられるという喜びでしょう。
日本ではどうでしょうか。送別会で抱えきれないほどの花束を贈られる人もいるでしょう。それでも、幸せな気持ちというより、「明日から何をすればいいんだ」と不安を感じる人も多いと思います。
なぜ、欧米では待ちに待った自由な時間なのに、日本ではやることがない不安な時間になってしまうのでしょうか。
その原因は会社に依存していることです。会社が決めた組織や秩序、ルールに従って生きているうちに、自分で何も決められなくなってしまうのです。
定年は突然やってきます。定年になる日は決まっているのですから、いくらでも準備ができるはずですが、多くの人は何の準備もしません。それどころか、定年後の生活を想像することさえしません。
定年後は、毎日が日曜日と言われます。日曜日にやり甲斐のある時間を過ごしていれば、それを毎日行えばいい。しかし、日曜日を無為に過ごしていると、定年後もやることがなくなります。
西欧のキリスト教徒は、日曜日に正装して教会に行きます。教会では地域の人に会い、礼拝が終わると、家で家族と共に過ごします。彼らにとって、日曜日の生活こそ、人生の喜びであり、本当の生活です。本当の生活を得るために労働します。ですから、労働から解放される定年は喜ぶべき記念日になります。毎日が日曜日になれば、毎日人生の喜びを感じることができるのです。
日本では、学生は勉強する人、会社員は会社に行って仕事をする人と定義します。勉強すると偉いと言われ、仕事をすると偉いと言われます。何のために勉強するかは問われませんし、何のために働くのかも問われません。言われるがままに勉強し、言われるがままに仕事をするのです。
もし、日本でも日曜日こそ本当の生活であると考えれば、お父さんが週末に「明日は休みだから飲もう」ということもなくなるし、子供が「明日は休みだから徹夜でゲームしよう」ということもなくなります。むしろ、日曜日のために早く寝よう、ということになるはずです。
仕事をして、仕事の憂さを晴らすために酒を飲む。その繰り返しの生活では奴隷と変わりません。勉強も仕事も手段であって目的ではありません。人生の目的を考えないままに、勉強して、働く。ストレスが溜まったら、お酒やゲームで気晴らしをする。こんな生活の果てに、定年を迎えたら、その人にどんな意欲が残っているのでしょうか。
「オタク」と呼ばれる人は、熱中できる趣味や生き甲斐を持っています。好きなことに熱中している時間が真の時間であり、学校や会社の時間はそのための労働と割り切ることができます。
オタク活動を維持するために、何らかの生活ルールを作っている人も多いでしょう。会社に依存するだけでなく、自分で生活を組み立てているのです。定年までオタクを通すことができれば、定年後の生活は幸せでしょう。
編集後記「締めの都々逸」
「何か変だと 思っていても 文句言わずに 歳をとる」
コンサルタントという職業柄、課題を見つけ、解決策を考えるのが好きです。目先の解決策ではなく、根本的な解決策を見つけることが重要だと思います。しかし、根本的な問題は解決が難しいので、結果的に目先の問題に集中したりします。それでも、やはり根本的なところからスタートしないいけないと思っています。
ビジネスであれば、徹底的に議論する人達も、プライベートに属する事柄はあまり深く考えません。考えてもお金にはならないからです。こうして忘れ去られた問題が沢山あると思います。問題を掘り返しても何もならないのかもしれませんが、それでもあーだこーだと考えてしまうのです。(坂口昌章)
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