プーチンの暴走を止められるか。イランとサウジを仲介した中国の底力

 

戦後国際政治での2つの原理の闘い

読者諸兄におかれましては、ここに至ってもなお、習は何をこんな当たり前のお題目を唱えているのかとお思いのことと推察いたしますが、そうではない。ここには、第2次大戦後、冷戦後になってもなぜ世界は戦争ばかりしているのかを考える原理的なレベルの鍵が含まれている。

第2次大戦は、欧州を主舞台に数世紀に渡り国際社会にまかり通ってきた国家的暴力と敵対的軍事同盟という“常識”の破滅を意味していた。ヒロシマ・ナガサキをも含めて、もう二度とこんなことを繰り返してはならないという思いから、国連が誕生し、そこでは国家が軍事力を振るって利害を争い、場合によっては複数の国家が狙い定めた敵を相手に軍事同盟を成して総力戦を挑むのが当たり前とする考え方が否定され、これからは地球上に存在するすべての国が加盟し、誰かが誰かを敵とするのでなく予めラウンドテーブルに座り、あくまでも対話を通じて紛争を解決するよう努めることが約束された。

習が1.で「共通(common)、総合(comprehensive)、協調的(cooperative)、持続可能(sustanable)な安全保障という考え方」と言っているのは、単なる形容詞の羅列ではなく、まさにこの「誰かが誰かを敵とする」のではない新しい安全保障原理について国際政治学の分野で使われてきたいくつかの呼び方を列記したもの。さらに付け加えれば「普遍的(universal)」という呼び方もあり、これは特に「地球上〔もしくは当該地域〕に存在するすべての国が加盟する」という側面を強調した言い方
になる。

この安保原理は正しかったが、しかし世界の現実は米ソ冷戦に突入し、東西真っ二つに別れて互いに憎み合い睨み合うメガ軍事同盟の時代へと流れてしまい、国連憲章の精神は宙に浮く。それから45年間が無駄に過ぎて、冷戦が終わったということは、いよいよ軍事同盟の宿痾を克服して国連の普遍的安保を実現する機会が巡ってきたことを意味していて、そのことを文明論的に理解していたソ連のゴルバチョフは率先、東側の軍事同盟=WPCを解体した。ところが米国のブッシュ父は浅薄にもそのことを米ソ間のパワーポリティックスの問題としてしか捉えていなかったので、西側の軍事同盟=NATOを解散せず、逆に強化・拡大し、引き続きロシアを敵と定めて圧迫した。何度も繰り返すが、そこに今日のウクライナの悲惨の根源がある。

だから習は、大戦後も冷戦後も上手くやれなかった人類が、今こそ三度目の正直、国連安保原理に立ち戻ろうと呼びかけているのである。6項目の3.で「国連憲章の趣旨と原則の遵守を堅持し、冷戦思考を捨て去り、一国主義に反対し、ブロック政治や陣営対立を行わない」と言い、5.で「国家間の溝や紛争の対話と協議を通じた平和的方法による解決」を強調しているのはそのためなのだ。

ちなみに、戦後の国際政治がこのように国連の普遍的安保原理と冷戦的対立の現実との間で引き裂かれてきたことの、特殊日本的な反映が、戦後の日本政治が憲法の前文並びに第9条の非戦原理と日米安保条約による対米隷属下での戦争加担の現実との間で国のあり方を何度も見失いそうになりながらヨタヨタと無様に生きてきたことの、根本原因でもある。

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