■「今」以外を捨ててもいいのか
脳のタイムトラベル能力も同じです。たしかに私たちは「過去」や「未来」について益体もない考えを抱き続けることで、今目の前の現実を生きる力を喪失してしまうことがあります。これはできれば回避したいところですし、それが不可能であれば悪影響を緩和したいところです。でも、だからといってその能力すべてを遮断することが絶対的な解だという道のりを歩むのはあまりにいびつでしょう。
進化論的に言えば、脳がそうした能力を持っているのは私たち人類の生存にとって有利だったからだと説明できます。でも、そうした理論を持ち出さなくても、過去起きてしまったことから何も学ぼうとしない人、未来起きることについて何も対策・準備しない人が、どういう結果を出し続けるだろうかは容易に想像がつきます。
失敗しても気にしない、人を傷つけても気にしない、人に損害を与えても気にしない……だってそれらはすべて「過去」のことであり、存在はしないものなのだから。そういう理屈が成り立つでしょう。
同様に、少しのケアで対処できること、少しの段取りでマシになること、少しの準備で楽になること、積み重ねることで達成できることも一切無視されます。だって、それらはすべて「未来」のことであり、起こるかどうかなんてまったくわからないからです。そんなことよりも「今」を生きよう。そんな人と一緒に何かをやりたいでしょうか。
言い換えましょう。脳のタイムトラベル能力は個人の行動を最適化するための能力のように思えますが、人間が社会的動物であることを考えれば、それは「他の人とうまくやっていく」能力でもあるのです。よって、脳のタイムトラベル能力を抑制すればするほど、そうした結果も望めなくなってきます。
もちろん、それを望んでいるならば何も問題ありません。他人がどうあろうが、自分の心の平穏さえ手に入るならどんな対価でも支払う、という価値観を持っているならばそれも一つの選択でしょう。しかしそうでないのならば、そうした能力を捨てるのではなく、むしろ「うまく付きあっていく」方法を模索する方が賢明なはずです。
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