先ほどのホームページではこう説明する。
親族や知人など、本人の監督等を承諾している者を「監理人」として選び、その監理の下で、逃亡等を防止しつつ、収容しないで退去強制手続を進める「監理措置制度を設けます。
近くにいる信頼する人が国家の権限のもとで監視者にもなってしまう関係性に当人は心地よさを感じるだろうか。
それは、かつて精神疾患者を家族による自宅監置を許してきた国家の発想にも通じるような気がしてならない。
確かに出入国を正しい法の下で運用するのは当然ではあるが、そこに人が介在する以上、ケアの思想は必定だ。
管理ではなく、ケアの発想で法整備するのはどうだろう。
ちょうど旧優生保護法下で障がい者らに不妊手術が強制された問題で衆参両院の事務局が立法経緯や被害実態に関する調査報告書原案が提出された。
公表された「概要」では、医療機関が他の手術と偽ったり、福祉施設の入所条件とされた事例を確認したという。
これは議員立法で成立した被害者救済法に基づき、国や自治体、医療機関、福祉施設の保管資料などを3年かけて分析したもので、今後、国の「管理」による被害の実態やそのプロセス等がさらに明らかになるだろう。
そして、この調査は私たちの管理が時には、人権を蹂躙する可能性を秘めていることを示すことになろう。
入管法改正の議論でも現行の難民審査の公平性への疑念も噴出した。
管理に完璧はないから、なおさらに私たちが管理を手段と考え、その目的を共有していきたい。
まずは、共生社会を目指す私たちが国籍を超えてどんな人も尊重し合うことから始まることから再スタートできないだろうか。
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