深まる謎。なぜ「プーチンの料理人」プリゴジンは独裁者に銃を向けたのか?

 

プリゴジンの要請を聞き入れなかったロシア政府

プリゴジンはプーチンと同じサンクトペテルブルグ出身で、プーチンがサンクト市役所の幹部だった1990年代から親しかった。プーチンは露諜報界(FSB)の人であり、プリゴジンも諜報界と連携しながらワグネルを運営してきた(と米国側が言っている)。それならプリゴジンは、ウクライナ戦争を長期化してロシアを台頭・繁栄させたいプーチンの策を知っているはずだし賛成のはずだ。

Yevgeny Prigozhin From Wikipedia

私はそう推測したのだが、実際のプリゴジンはそうでなかった。ワグネルが、ウクライナ戦争の最後の激戦地といわれたバフムト(アルティモフスク)をほぼ占領して勝利が見えた4月下旬、プリゴジンは、ウクライナ軍は弱体化しているのでもう大してドンバスを攻撃できない、露側はすでにこの戦争(特殊作戦)に勝っている、早く勝利宣言してドンバスの再建に注力すべきなのに露政府が聞いてくれないのはダメだ、などと宣言した。

だが露政府はプリゴジンの要請を聞かず、むしろ勝ちそうなバフムトから政府軍を撤退させたり、ワグネルへの弾薬供給を止めたりして苦戦するように仕向けたりした。プリゴジンが怒ったので露政府は数日後にワグネルの弾薬供給を再開した。

決着ついたウクライナ戦争。今後どうなる?
Prigozhin erupts: Has a Russian succession struggle begun?

プリゴジンは政府の対応に怒りつつも、ワグネルだけでバフムトの攻略を続け、5月20日に完全に陥落(解放)した。これにより、露側はドンバスからウクライナ軍を掃討する戦闘を終了した。

その後、ウクライナは米国に加圧されて露側に対する反攻を6月5日に開始した。だがそれも、ワグネルと露政府軍の反撃によって3日間で撃破され、ウクライナの敗北で終わった。ウクライナの戦場における露側の勝利は確定・不可逆的になった。

それでもプーチンの露政府は戦争の勝利や終結を宣言しなかった。米国側もウクライナの負けを認めなかったので、その後もウクライナでの戦闘が決着つかずに続いているかのような様相が世界に喧伝され続けている。

Top Russian general sends message to ’mutinous’ Wagner PMC
決着ついたが終わらないウクライナ戦争

プリゴジンは露政府への不満を強め、戦争を長引かせていることについて国防相や軍の参謀長を引責辞任させるべきだと言ったり、プーチンと直談判したいと言って騒ぎ続けた。

それでも露政府が耳を貸さないので、プリゴジンは6月23日、ワグネルの軍勢を引き連れて、それまで駐留していたウクライナ国境地帯から首都モスクワに進軍し、プーチンと直談判しに行くと宣言してワグネルを移動させ始めた。露軍が妨害するなら撃破せよとワグネルに命じ、実際に戦闘も起きたと報じられた。

Rebellion in Russia: Putin denounces Wagner Group’s “criminal adventure” and prepares to defend Moscow

プリゴジンは、軍勢を引き連れてモスクワまで行ってプーチンに会い、ウクライナ戦争の終結・勝利宣言をしてもらおうとした。だが、この動きはプーチンや露政府から見ると、政府が決めた方針に従わず軍事力で首都を乗っ取ろうとする「反逆」や「クーデター」になる。

プーチンはプリゴジンが反逆罪を犯したと宣言し、政府軍がワグネルと戦って掃討する姿勢を見せた。プリゴジンとワグネルがそのままモスクワに向かうと、露軍との内戦になってしまう。それはプリゴジンにとっても望むことでなかった。

プーチンとプリゴジンの両方と親しかったベラルーシのルカシェンコ大統領が仲裁に入り、6月24日になってブリゴジンはモスクワに向かうことをやめてベラルーシに事実上亡命し、その代わり露政府はプリゴジンを訴追しないことで話がまとまった。内戦は回避された。

Wagner’s Prigozhin Halts Advance on Moscow

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