実は50人も子どもがいた?新一万円札の顔となる実業家の知られざる“性豪”伝説

Shibusawa_Eiichi_Portrait_1900
 

日本の少子化は深刻な状況で、有効な手段が見つからないのが現状です。一方、過去に子沢山で知られる有名な実業家がいたことをご存知でしょうか? その人の名は、渋沢栄一。今回のメルマガ『歴史時代作家 早見俊の無料メルマガ』では、時代小説の名手として知られる作家の早見さんが、新一万円札の顔になる「子沢山だった実業家」渋沢栄一のエピソードを紹介しています。

子沢山の実業家

少子化が問題になっています。今回は子沢山な有名人の話です。

まずは、新一万円札の顔となる渋沢栄一です。渋沢は日本資本主義の父と称される大実業家でした。明治、大正、昭和に亘って精力的に活動し、第一国立銀行、王子製紙など五百に余る会社や東京株式取引所の開設に尽力しました。

生涯の愛読書、『論語』の精神で経営にあたり、「私利を追わず公益を図る」というモットーを貫ぬいた実業家人生です。そのため、巨大財閥を作ることはなく、昭和6年91歳で大往生を遂げるまで現役で活動を続けました。

現役だったのは仕事だけではなく、性生活もでした。というのは、渋沢は68歳で子供を作っているからです。この時、「いやあ若気の至りで」と照れたとか。仕事、性生活、共にエネルギッシュな渋沢栄一の最初の結婚は18歳の時、妻千代は14歳でした。

渋沢は千代との間に二男三女をもうけます。千代は42歳で病死、翌年兼子と再婚します。兼子とは二男二女をもうけました。二人の妻だけで渋沢の性欲が満たされるはずもなく、複数のお妾さんを持ち、嫡子、庶子合わせて20人の子供に恵まれました。すごいことに、妻、妾、子供たち全員と一緒に暮らしていたそうです。また、非嫡子を入れると50人を超す子供がいたとも噂されています。そんな性豪ぶりを兼子は、「論語とはうまいものを見つけなさった。聖書だったらてんで守れっこないものね」と言ったとか。

聖書は姦淫を禁じていますが論語に性についての戒めは書かれていないことを皮肉ったのですね。

渋沢は己が艶福ぶりを反省したのか、家訓として女遊びを戒め、芸者に近づくなと定めています。自身は花柳界で五本の指に入る遊び人と評判を取ったにもかかわらず、です。渋沢の女好きの血は長男に受け継がれ、家訓を破って新橋の芸者にのめり込んでしまいました。

渋沢は自分のことを棚に上げて長男を叱りましたが長男は聞く耳を持たず、妻を追い出して芸者を家に入れようとしました。渋沢は激怒して長男を廃嫡します。長男にしたら親父に言われたくないと思ったことでしょう。

道徳と経営は合一すべしと語っていた渋沢栄一は、生涯、500を超える会社と50人を超える子供を産んだ偉大な父だったのです。

image by: パブリックドメイン(WikimediaCommons)

早見俊この著者の記事一覧

歴史、ミステリー四方山話、思いつくまま日本史、世界史、国内、海外のミステリーを語ります。また、自作の裏話なども披露致します。

無料メルマガ好評配信中

この記事が気に入ったら登録!しよう 『 『歴史時代作家 早見俊の無料メルマガ』 』

【著者】 早見俊 【発行周期】 週刊

print
いま読まれてます

  • 実は50人も子どもがいた?新一万円札の顔となる実業家の知られざる“性豪”伝説
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け