「なぜ核兵器は存在するのか」という問い
そのもとにあるのが相互不信の存在ですが、ロシア・ウクライナ戦争で表出し、その後、国連安全保障理事会を機能不全に陥らせた世界の分断がそれをさらに難しくさせており、核軍縮の流れは実際には逆流し、実際には核戦力の拡大傾向が強まってきています。
核弾頭の数自体は減少傾向にあるのですが、核戦力が持つ能力は向上し続けており、同時に核兵器の運用のための装備の縮小や核弾頭運搬能力の削減など、直接的な核兵器の能力とは別のところでの軍縮も行われているため、それが必ずしも実際の核廃絶・核軍縮への方向には進んでいません。
それが今、アメリカやロシア、中国、英国、フランスなどの核保有国と、その核の傘に守られているClient statesが核兵器禁止条約に参加しない一つの理由となっていると思われます。
各国とも核兵器の禁止は私たちが目指すべきゴールである(出口である)ことは否定していませんが、非常に不安定な国際安全保障環境に鑑み、かつ相互不信と分断が深まる時勢から、禁止に至る道筋において、核兵器の持つ役割を次第に削減し、無くしていき、そして核兵器を保有する理由をなくすことが先決と考えているように思われます(それは、日本の立場も同じだと考えますし、理解しているつもりですが、TPNWとの付き合い方については、批准かオブザーバー参加をしたうえで、きちんと意見表明をし、先に述べたような核兵器の役割の削減・消滅などに貢献したほうがよいのではないかと個人的には考えます)。
最後に紛争を扱う行動心理学を用いる調停官という立場から見ますと、紛争における各国、そして当事者の行動は決して合理的な判断に基づいているものではなく、なかなかつじつまの合わない、そしてなかなか理由を明確にできない不合理なものであると見ています。
紛争が起きた理由を後付けでいくらでもつけることはできますし、多くの場合、そうされてきたのですが、紛争が起きる理由の根本的な内容・背景が明かされない限りは、実際の紛争解決は困難で、仮に合意に至ったとしても、その内容の永続的な遵守を保証することは、私たちの不合理な行動心理から分析してみると、とても難しいものになってしまっています。
どうして核兵器は存在するのか?どうして、その凄まじい殺傷能力を目にし、街と人を完全に破壊する姿も知っているはずなのに、核兵器をなくす方向ではなく、保有し、増やし続ける方向に進むのか?
これらの問いに答えを見出すことが出来ない限り、残念ながら真の核兵器の廃絶は起き得ないのではないかと感じます。
そしてそれは、紛争がいつまでも終わらない、紛争が頻発してしまうことにもつながるのではないかと考えます。
ちなみに平和とは、私の定義では「戦争がないことではなく、いかなる紛争も武力行使に訴えることなく、話し合いによる解決を行える状態」だと考えています。そして紛争調停官の役割は、「戦争をなくすことではなく、戦争が起きてしまった場合、可能な限り生じる損失や痛みを軽減し、可能な限り迅速に武力によらない解決に導くお手伝いをすること」だと考えています。
今週、久々に核兵器に係る国際会議に参加しつつ、同時進行的に紛争調停の話をしてみると、普段、見落としているかもしれないことが明らかになってきたように思います。
今回のコラムは核兵器という極端な例を通じて、荒れ狂い、迷ってしまっているように感じる国際情勢の裏側についてお話ししてみました。
今週末からはまた調停の任を担いながら、いろいろな役割をこなす日々になりますが、自らの役割を自覚しなおし、またしっかりと頑張ります。
以上、今週の国際情勢の裏側でした。
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