実は「平家同士」で戦っていた?時代小説家が明かす私たちの知らない源平合戦

 

源平合戦について筆者の勝手な解釈を記します。

歴史好きな読者ならご存じでしょう。源頼朝を担いで挙兵した関東の武士団の多くは、源氏ではなく平氏の流れを汲む者たちでした。頼朝、頼家、実朝と源氏将軍が三代で絶えた後、鎌倉幕府の実権を握った北条氏も平氏です。この為、日本史には源平交代思想、つまり、源氏と平氏は交代で天下を治める、という考えができました。

神輿は頼朝という源氏の嫡流ですが担ぎ手は平氏ですから、源平合戦は平氏同士の戦いともとれます。

では、どうして平氏同士が戦ったのでしょうか。

以下は筆者の妄想です。

頼朝を担いだ武士団の多くは良文流平氏(よしふみりゅうへいし)でした。平良文の末裔たちです。平良文は平将門の叔父で、将門が鎮圧された時は鎮守府将軍の任にあって陸奥国にいました。将門滅亡後、彼を討伐した平貞盛や俵藤太こと藤原秀郷は残党狩りをしましたが良文は匿い、将門の娘を長男の嫁に迎えました。

長男と将門の娘との間にできた子供たちが千葉氏、上総氏、江戸氏となります。また、他にも良文の子孫には梶原氏、三浦氏など、頼朝を担いで源平合戦を戦った者たちがいました。

一方、都で権勢を誇った清盛の平家一門は将門を討った貞盛の子孫です。更に言えば、源平合戦後に頼朝に滅ぼされた奥州藤原氏は藤原秀郷の後裔です。

こうした観点からしますと、源平合戦、奥州藤原氏滅亡は将門の子孫による復讐、将門の怨霊が平家と奥州藤原氏を祟り滅ぼした、と言えるのではないでしょうか。

なんて、伝記小説になりそうですね。

筆者は古典の、「平家物語」ではなく、吉川英治の、「新平家物語」で平家一門の隆盛を読みました。吉川作品は、前編は清盛、中編が木曽義仲、そして後編は源義経を主人公に据えて壮大な歴史絵巻が展開されます。若き日の平清盛の凛々しさ、義仲の純真さ、もちろん義経は悲劇のヒーローとして描かれ、全編を通じて阿部麻鳥という架空人物が登場して英雄たちの栄枯盛衰を見届けます。

長大な作品ですがご一読されてはいかがでしょう。全巻を読むのは大変だと思われる読者は、平家の都落ちの場面、弁慶が熊野別当湛増を味方につけるべく乗り込む場面だけでもお読みになることを勧めます。

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