いじめ被害者の自死を武勇伝のように語る加害者
いじめの現場やその先の対応の現場にいる私は、加害者の人物特定などでその生活環境や行動を見ることがある。
そこで思うのは、学校の先生の前では鼻水を垂らして涙を流して反省している様子を見せていた子が、被害者の自死を武勇伝のように話して自慢する様子や保護者の記者会見の様子をスマホの動画で見て加害者同士で「どうせ何もできないでしょ!」と見下したように言う様子をみたりするから、反省はフリだけなんだろうなということだ。
もちろん、しっかり反省している様子の子もいる。私に連絡をしてきて、謝りたいのだけどどうしたらよいかと申し出てくる子もいる。
ただ、そんなケースは片手で数えれるほどしかない。その他多くは、のうのうと学校生活を謳歌し、次のターゲットを選んで、今度はより高度にバレないようにいじめをするわけだ。
もしも、学校社会全体がいじめ問題を問題視し先進国並みの対応をするとすれば、最低限でも加害者は更生教育を受ける程度はするであろう。しかし、こうした更生教育は今のところ皆無と言える。
つまり、私から見ると、学校社会自体が問題視すらしていないのではないかということだ。
いじめ防止対策推進法施行からそろそろ11年になろうとしているが、これだけの期間があって、何も改善できないのだから期待すらしないが、ちょっとでも希望の光がみたいものである。
「阿部くんはこっち側に来ないの?」ある文教関係者の問いかけ
ちょっと名前は言えないのですが、ここのところ偉い人に会う機会が続いています。
皆さん話すといい人で、話しの理解が早いので、驚いているのですが、ある学者の方から、こう言われました。
「いじめの認知数はそろそろ減るんじゃない?だって、人口減るでしょ、当然こどもの数も減るから起きる件数自体が万単位で減るじゃん
まあ当然の話です。例えば、ほとんど車が通らないほど交通量が減れば、事故は滅多に起きない、極論、車がゼロ台の地域で、車同士の事故は起きないわけです。
しかし、これまで増えていたりします。過去の統計数比較だといじめの認知数は統計調査上の問題や報告形式の問題(ほぼ不正ですが)などであまり参考になりませんが、増加傾向であったりします。
なので、「まあ、普通はそうなんでしょうけど、増えたりしそうですよ」と私が答えると、「それは政治、自治体、学校業界の犠牲者と言えるね」と話していました。
ある文教関係者からは、こう言われました。
「阿部君はこっち側に来たら、出版も思うままだよね。なんで、こっち側に来ないの?」と。彼が言うには、学校だけでも数万校日本にはあり、私が文教族の手の者になれば、出版すればその数は確定数として売れるから、ベストセラー作家も夢じゃないと。
まあ、言い返したら面倒だったので、「苦笑」で返事しておきましたが、こっち側、あっち側という区切りで物事を考えているのだなと勉強になりました。
まあ当分忙しいだろうなと思ったというのが本音です。
この記事の著者・阿部泰尚さんのメルマガ
image by: Shutterstock.com