恐らく、具体的な下手うちの内容を知りたいところである。これは、書籍等でまとめた方がよいような気がしているが、愛するメルマガ読者に向けて少しだけ書く。
例えば、「やんちゃ坊主」への対応。見えるところ、表でやりすぎである。適当にあしらっておけばいい。ここに関わりすぎることが、学級を崩す大きな要因になっている。そして、裏でのフォローの仕方こそが肝である。(これについては、以前書いた校内若手研修や、依頼された研修等でも伝えている。)
例えば、保護者対応。何でもこちらが下手に出て機嫌をとっていればいいと思っていたら、大間違いである。保護者の側も、実は色々とわからないで困っているのである。保護者は、一番の協力者であり仲間であるのだから、ここに正しい情報を伝え、協力を仰ぐに越したことはない。
例えば、管理職や同僚との関係。無駄なプライドをもったり意地を張ったりせず、自分より経験値の多い人に謙虚に教えてもらうことである。若い内は「どうせ下手くそ」だからこそ時間と体とを使って全力を尽くすしかない、という自覚と覚悟が必要である。
自分のできる範囲に全力を尽くした上で、遠慮なく助けてもらうことである。教師は、人を助けて伸ばすことが根っから好きな、真の意味で親切な人が多いのだから、そこは利活用すべきである。(この本来良い性質が「人に良く見られたい」へと変に捻じ曲がることがある事実も否定できない。)むしろ、若手を助けて支えることは、それ以外の人間にとって仕事の一部であり義務ですらある。
ちなみに「安定した学級経営」とか「素晴らしい授業」とか「見事な保護者対応」とかは、通常ほぼ期待されていない。どちらかというと、下手でもいいから一生懸命やっている、ということに価値を見出される。若手の内は、どの業界であっても地道で泥臭い作業の連続である。地味に時間と体力を使う単純な作業、誰がやるともわからない陰の作業を黙々とやっている人は、必ず見られている。そういう地道な人がある日困っている場面を見たら、人はつい手を差し伸べて助けずにはいられない。そういうものである。
例えば、授業。教科書通りにやればいいと思っていると、下らない結果を招く。教科書は、極めて優秀である。これを如何に有効利用するか。当たり前の技術の大切さが問われる。これも先輩に教わって学べばよい。
例えば、研修。単に嫌々やらされているものほど、下らないものはない。悉皆研修だろうと校内研修だろうと、自分のために120%利用する。
何より、若い頃になけなしの身銭を切って学ぶことが、後にどれほどの価値を生み出すのかを知ることである。時間とお金をつぎ込んだものについては、コスト回収をすべしという心理が自然と働き、学習効果が高まる。ここの意義は、向山洋一氏が口を酸っぱくして述べ続けている。(やたらとTOSS批判をしている人のほとんどが、実際まともに学んでいない。私はTOSSのメンバーではないが、向山洋一氏の現代の教育業界への貢献度は、近代No.1であると思っている。)
学んだことを、教室で生かす。学んだ通り試してみても、やっぱり上手くいかない。自分なりの工夫をしてみる。何度も試す内に、子どもの反応が明らかに変わる。この喜びを知れば、学びを止めることの方が逆に難しくなる。








