■ハイパーリンク
というように、ランダムな情報発信(表現)は良いこと尽くしなのですが、2020年までの(日本の)Webでは存在感を消していたことも間違いありません。
一つには、「ブログ」というフォーマット(あるいはCMS)の流行があり、その上に「半商業メディアとしてのブログの運用」というもう一つの流行が重なったことが原因でしょう。
「ブログ」を、利益を上げるための媒体、もしくは広告を掲載するに値するコンテンツを発信するメディアという捉え方をしてしまうと、ここまで挙げてきたような特徴はさほど重視されなくなるばかりか、場合によっては絶対に忌避するものとして扱われてしまいます。
また、日本におけるブログの商業メディア化を支えていたのはGoogleアドセンスであり、その広告運用はどう考えても読者&発信者に利するものではなかった点も致命的でした。
有用で、面白く、定期的な購読者がついているWebサイトが、それに値する金銭的価値を還元してもらえるという形ならば、発信者はさまざまな工夫を凝らしてメディアを運営していた可能性もありますが、現実は「ともかくPV」であり、その結果が現在の日本の(あるいは世界の)インターネット状況です。
逆に言えば、「ブログで稼ぐ」が当たり前になった(そして廃れた)世界以降に、インターネットに参画してきた人は、かつてのインターネット・Webの有り様をうまくイメージできていない可能性があります。
たとえば、昔はまずindex.htmlというファイルを自分で作り、それをFTPソフトでレンタルサーバーにアップロードしていました。そのindex.htmlは名前の通りWebサイトの総合インデックスのような存在で、読者はそのページからリンクが貼られた他のページにジャンプしたのです。
ブログというCMSがないのですから、そのindex.htmlにリンクを貼る作業もすべて自前で行う必要があります。
すると、面白いことが起こります。記事を三つ書いたとして、書いた順にリンクを貼る必要がないのです。掲載したい順、自分が重要だと思っている順にリンクを並べることができます。「カテゴリ」というのも一種の考え方にすぎず(つまり、記事自身にメタ情報が埋め込まれているわけではなく)、自分がどのページにそのリンクを貼るかだけの判断でしかありません。
たとえば本の書評記事があるとして、それを「Knowledge Walkers」というページにリンクを置けば、それはKnowledge Walkersというカテゴリに属したことになりますし、「書評記事」というページにリンクを置けば、書評記事というカテゴリに属したことになります。
もちろん、必要だと思えば両方のページにリンクを置いても構いません。
つまり、記事を書く順番はどうだっていいのです。それとは関係なく、どう見せるのかを改めて考えることができる。つまり、メディア全体を「編集」できる。それがかつてのHTML手書きサイトの時代の当たり前でした。
今、WordPressを運営していて、その感覚を持っている人がどれだけいるでしょうか。
たしかに、サイトのデザインはいじれます。高機能なテンプレートも山ほどあります。でもそれは高度な着せ替え人形をしているだけであって、自分がメディアを「編集」しているという感覚は持ちえないのではないでしょうか。
ハイパーリンクという機能によって、記事はバラバラに書き、サイトはそのリンクを作って構造を作れる、ということが可能になったわけですが(考えてみると、これはすごいことです)、少なくともブログブームの頃にはその感覚は消失していたでしょう。
自分のメディアを自分で「編集」できないのであれば、それは「自分のサイト」とは言えません。もちろんこれは極論ですが、それでも一つの提言として意味あることだとは感じます。
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