パリ五輪で目立った「スポーツとルッキズム」の大問題
それはともかく、今回の五輪でもう一つ大きな問題だと思ったのは、セクシズムとルッキズムの問題です。ジェンダー差別の問題については、確かに一定の意識はされていました。例えば、マラソンの順番を従来と変えて、男子が先ということにして、最後の大イベントは女子マラソンにして、表彰式を閉会式に組み込んだのは良かったと思います。
ちなみに、21年の東京はこのぐらいやっても良かったのだと思います。そうした発想ができなかったというのは、既に3年経過していますが、今からでも反省すべきと思います。それはともかく、男女混合の種目が増えたことなども含めて、ジェンダーの問題に一定の前進があったことは認めましょう。
問題はとにかく、セクシズムとルッキズムです。これは巨大な「闇」だと言えます。具体的には、全体的に男性も女性も「外見の感じの良い」選手が目立つようになっているということです。以前からその傾向はありましたが、自信をもってプレーするアスリートは美しく見えるという現象で説明できる範囲については、それはそういう現象だということですし、悪いことではないとも言えます。
ですが、今回はどうにも目立つように思うのです。では、どうして「見た目の良い」選手が多くなるのは問題かというと、実は深刻な背景があるのを感じます。それは、「美しい選手は意図的に作られる」ということです。それは、「スポーツの才能が見出された男女は整形手術をする」ということでありません。そういった動きはあるかもしれませんが、限られた範囲と思います。
そうではなくて、もっと根深い、深刻な問題があると思うのです。それは、
「世界中の多くの親や指導者は、子供の才能と意欲、体格があるだけでは、子どもに対してスポーツエリートへ育てるという投資をしない」
「才能、意欲、体格に加えて、商品価値を生み出すような外見を備えている場合にのみ、子どもへの投資をする」
という問題です。
この問題は、以前から「欧米の白人社会における、テニスとゴルフのプロ選手」に関しては密かに語られてきた「嫌なストーリー」です。(後は、韓国の女子ゴルフにもそうした傾向はあると思います)極めて不快な考え方ではありますが、行動として確かに合理性はあります。そして超長期投資として実行されるので、あまり表には出ません。
ですが、今回の五輪を見ていて思うのは、個々のケースとしてはそうした判断というのはあるということです。そして、このような判断が拡大しているのを感じます。それは、
「アメリカにおいては、白人だけでなくアフリカ系を含む非白人も」
「米英が多かったのが、大陸欧州にも」
「中国を含めた東アジア圏にも」
という広がり方をしているということです。









