TVが報じなかったパリ五輪のダークサイド。カネとルッキズムの祭典に漂う「持続可能性」とは真逆のオワコン臭

 

東京五輪の「2つの闇」は暴かれなければならない

そんなわけで、カネが細っているという問題は、日本の五輪活動に大きな制約を与えていると思います。東京の悪夢は、今後は札幌を含めて「二度と招致をしなければ」再現はしないので、それで「スッキリ」すると考えている人も多いようです。ですが、招致しなくても、参加はするし、参加する以上は多くの期待が寄せられるのは間違いありません。

その場合に、パレードなどは大きな問題ではないかもしれません。ですが、カネがないので選手を送れないとか、カネがないので中継に制約が出るというようでは、これは困った問題になります。そこで東京の悪夢が思い出され、スポンサー企業が躊躇したり、頑張ってカネを出した企業が怪しい目で見られるということがあっては大変です。

そこで問題になるのが「東京の闇」という悪夢です。この問題は、大きく捉えるのであれば、宏池会岸田派による清和会安倍派への政治的プレッシャーとして動いているのだと思います。もっと言えば、森喜朗という人の消しても消しても消えない影響力を完全にマイナスに持っていこうという、執念深い動きの一環とも言えます。

では、問題の追及はしないで忘れてしまっていいのかというと、そうではありません。ここまで染み付いてしまった「五輪とカネ」へのマイナスイメージというのは、とにかく参加費にまで影響を与えることで、延々と悪い影響を残すからです。

まず、悪いのは電通や角川ではないと思います。彼らは被害者という認識が正しいと思います。電通は、通常の広告ビジネスを展開しただけで、そこに収益を期待した部分を犯罪扱いされています。角川に至っては、今どき紙版のガイドブックを出して儲かるはずもなく、「付き合いで頼まれた」ので引き受けたし、「カネを出せ」と圧力を受けたから出しただけだと思います。

問題はそこではありません。2つの闇があると思います。1つは招致にかかったワイロであり、もう1つは本当の開催費です。どちらも現時点では藪の中であり、そこにメスを入れて全てをガラス貼りに解明しなければ、東京の闇は晴れません。

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