あなたは『ゲーム理論』というものをご存じでしょうか。社会に与えた影響があまりにも大きいこの理論は、1944年に生まれたにも関わらず、80年が経った現在にも繋がっています。今回のメルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』の著者である引地達也さんは、悲観的な状況も多い中、そこにも「希望を見いだせた」と、その内容について紹介しています。
ゲームが支配する世界の中で希望を語ってみる
「ゲーム理論」は天才数学者として知られるジョン・フォン・ノイマンと経済学者オスカー・モルゲンシュテルンの共著『ゲームの理論と経済行動』として1944年に生まれた。
この理論化が社会に与えた影響の功罪は大きい。
社会の仕組みを「ゲーム」と考えることで、経済活動も収益拡大に向けてのゲームだと位置づけ、そこに集う人たちをプレーヤーと考え、人間が道具化してしまう弊害である。
仕事をする自分はロボットという道具だと認識することで仕事のストレスから解放されようとの行動も少なくない。
社会に蔓延する「ゲーム化」は人の営みさえも殺伐とした競争に置き換えてしまう風潮につながっているようだ。ゲームとは競争なのか、との問いに対し、先日、学生が発表した「ゲームの企画」は、どの発表にも、「誰もが」の視点が入っていることに感心し、希望を見出した思いである。
この発表は、コミュニケーション学科に所属する学生が中心となってゲームを進行するために、何らかのゲームを紹介し、そのルールや効果、魅力を伝えていくものであった。
ゲームを競争の道具として見る向きもあると感じていたが、学生はそうならなかった。
「パートナーを探せ」「マシュマロタワー」「オンリーワンゲーム」「Never have I ever」「インディアンポーカー」「ワードウルフ」「出身地当てゲーム」「質問を見ずに回答ゲーム」。
どの発表も、参加者全員が余すことなく取り組めるものを選択し、それがゲームの基本だとの認識のもと、プレゼンテーションを展開したのだ。
ゲーム理論の対象は戦略的状況である。
自分の利得を優先的に考え、それが他者の行動にも依存する状況と解釈される。
学生らの発表は、その状況の設定よりも、一緒に行うプロセスに重きを置いているように思える。
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