本当の敵(1)スピード感と時間 ~日本固有の絶望的に遅い時間感覚
最初から抽象的になりますが、日本固有のスピード感というのは、明らかな敵であると思います。いい例が、ジェンダー差別の問題です。男女雇用機会均等法が改正施行されて、女性も総合職の管理職候補として採用され始めたのは1985年でした。その頃から、男女共同参画だとか、女性活躍などという言葉が独り歩きしていましたが、全く結果が出ていませんでした。
かなり後になって、例えば2003年に、後に総理になる福田康夫氏(当時の官房長官)が女性管理職を30%にするなどと目標を設定し、自分が総理になると各企業に数字を出させたりしました。ですが、何をやっても数字は改善せず、30%などというには、ほど遠かったのです。
ようやく近年になって、業種によれば30%という数字も見えてきたわけですが、この絶望的なスピード感は、それ自体が「社会の敵」だと思います。正しい政策を法律化しても、守旧派を根絶する対策、いや戦いの戦略戦術がなければ平気で40年も空費してしまうのです。恐ろしいスピード感と言えましょう。
例えば改革型政権のイメージがある小泉純一郎政権ですが、5年間も政権を維持する中で、改革らしい改革としては派遣労働の拡大と、郵政民営化だけです。そして、派遣の拡大は事務労働を低コスト化するという負の効果が生じることで、長期的には日本のオフィスにおける生産性を奪うだけの結果となりました。また郵政民営化の最大の目標であった、個人金融資産をリスクの取れるマネーに転換して産業構造転換の材料にするという点は、全くの空振りに終わっています。
政権だけでなく、一政治家個人においてもそうです。河野太郎氏については、それなりに期待したこともあるのですが、マイナ保険証というセコい政策の実施でほとんど政治生命をすり潰している感じがします。だとしたら、それは河野氏の非力ということではなく、絶望的な時間感覚のせいだと思います。
例えば消費税制度にしても、そもそも大平正芳を死に追いやり、竹下内閣を潰すという人的犠牲(必ずしもこの両者が優れた総理だったわけではないですが)を払い、絶望的な時間を要したわけです。消費税導入が正しい判断だったのかはさておき、とにかく何でも時間がかかり、その結果として実現したとしても効果は半減するという、どうしようもない時間感覚こそ、現代社会の敵だと言えます。









