あくまで「ネガティブな現状否定」にすぎない米国のトランプ現象に対し、日本における斎藤元彦・玉木雄一郎・石丸伸二各氏のフィーバーは「ポジティブな現状否定」であって、わが国に現れた「新しい有権者」たちがもつ不満には一定の正当性がある――前回記事でそのように分析した米国在住作家の冷泉彰彦氏が、本稿ではさらに論を進めて、中抜き・財務省・経団連など、わが国を蝕む“本当の敵”について具体的に検討していく。(メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』より)
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:日本の現状否定票は、どこへ向かえば良いのか?
似て非なる「斎藤・玉木・石丸・広沢現象」と「トランプ現象」
兵庫県知事選挙の結果は、全国に衝撃を与えました。この事件は、多くの問題を提起しているのは事実です。さらに直後の名古屋市長選挙でも、既成政党が相乗りし知名度もある大塚耕平候補を、チャレンジャーの広沢一郎氏が大差で破っています。この2つの選挙結果に加えて、少し前になりますが、この夏の東京都知事選では、石丸伸二氏が2位に食い込む善戦をして話題になりました。
こうした若者票による、既成の権威へのチャレンジというのは、これまでの日本には見られなかった現象です。そして、既成メディアとネットの分断、世代の問題など、一部はアメリカのトランプ圧勝という現象と重なる部分はあるように思います。
ただ、米国で起きた現象は、日本とは異なる要素のエネルギーが動かしています。
- (a)知的産業を中心に21世紀型の多様性を実現し、更にグローバリズムに最適化した国家でありたい
- (b)アメリカは農業や製造業で発展した大国であり、その威信を維持したいし、アメリカなるものが変わっては困る
- (c)アメリカは宗教的な迫害を受けた清教徒が思想を目指して作った理念の実験国家だ
- (d)アメリカは欧州で窮乏した移民が中西部を苦労して開拓して作った国で、他人は信じないし、他人に成功の果実を奪われたくない
この4つの軸の中から、実に安易に結集したのが「(b)+(d)」というセットです。つまり、負け犬の怨念を力に変えたのでした。時代の変化を否定して、アメリカに閉じこもるという衝動が、「(a)+(c)」という知的産業を軸にグローバルな成功と多様性の実験を行う部分を破壊しようとしているわけです。
そこにあるのは、やりすぎたリベラルへの反動という面はあるにしても、基本は後ろ向きであり、21世紀という時間を20世紀に戻す逆行だと思います。誰も幸福にはしません。
今の日本は決定的に狂っており、現状否定には十分な正義がある
一方で、2024年の日本の政局を揺さぶった現状否定票の躍動というのは、もちろん、そこに100%の正当性はないと思います。石丸、斎藤、広沢、の3人は確かに知名度を上げましたが、具体的な政策を論じたわけでも、また実行して成果を挙げたわけでもありません。政治家本人たちも、有権者も熱に浮かれたような現状否定に走っていました。そこには、ある意味ではトランプ現象に似た破壊衝動も含まれていたように思います。
ただし、そうではあるのですが、あくまで懐旧と守旧と孤立を軸としていたトランプの運動と、日本の若い現状否定票の持っているカルチャーは異なると思います。
決定的に違うのは、日本の「現状」は明らかに間違っているという点です。一人当たりGDPで、世界最高の水準にありながら30年で中進国並みに転落するとか、G7+G20の主要国でありながら総理以下全く英語が通じないとか、とにかく異常です。
子どもの貧困が深刻化しており、こども食堂の充実が喫緊の課題になってるとか、その一方で富裕層はハワイやシンガポールに逃げ出しているとか、クマの被害が深刻化して死者も出ているのに対策が追いつかないとか、何かが決定的に狂っています。
アメリカの現状否定は、アメリカがグローバル社会に最適化することへの反発に過ぎず、負けていく側の虚しい抵抗に過ぎません。トランプは当面この抵抗心理に迎合して、誰も幸せにしない破壊を続けるだけです。ですが日本は、現状そのものが明らかに間違っています。
グローバル社会に適応できずに日本が沈没しても、自分は老衰で逃げ切れる、けれども自分の意識があるうちは、日本が変わることは許さないといった邪悪な抵抗勢力が作っているのが、この「現状」であるわけです。であるならば、どう考えても日本の場合は現状否定には十分な正義があると思います。
これは直感に過ぎないのですが、日本の経済社会の衰退はここへきて顕在化し、つまり見える形となって加速しているように思えます。痛みの感覚も強くなってきました。本来なら、団塊が投票所からいなくなり、谷間の世代が現役から退くことで、世代による妨害が軽減されるはずのタイミングです。
ですが、ここへきて衰退の加速度が増してきたというのは、一つには、長期にわたったアベノミクス円安で、多国籍企業が空洞化のメリットを享受する一方で、国内は貧困化が進んだということがあります。これにコロナが追い打ちをかけ、婚姻数の激減と、その結果としての取り返しようのない少子化の加速が起きています。
ここで警戒しなくてはならないのは、このまま放置していると衰退の加速度がどんどん増えていく中で、痛みの程度が全体を潰してしまうようになることです。私は、日本の衰退に対して、あまり激しい変革、つまり「不連続な変化」を導入してしまうと、そこで激しい痛みに耐えかねて全体が失敗し、最終的には全員が不幸になるという感触を持っていました。ですから、連続的な変化のカーブをできれば上向きにする、それができなければできるだけ穏やかにする、それが最善だと思っていたのです。
ですが、もうそろそろこの発想の甘さと向かい合う時期ではないかと思います。不連続な改革であっても、とにかく方向性だけは修正しないと、全体に火の手が回って良い部分も悪い部分も何もかもが消失してしまう、そのような臨界点が来ているということです。
石丸氏もその支持者も「本当の敵」をまだ知らない
今年、2024年に起きた変化というのは、そのような臨界点の感覚なのだと思います。ところが問題は、何をどう改革したら良いのか、まったく全体像が見えないことです。例えばですが、石丸氏、斎藤氏、広沢氏と並べてみても、そこに明確な政策イメージ、改革イメージというのは、像として浮かび上がってはきません。
有権者もそうだと思うのですが、明らかな既得権益や、明らかな不正には鋭く反応するのです。ですが、そのような修正や破壊ではなく、全体の方向性の軌道修正をするには、何をどう考えたら良いのかとなると、議論すら始まっていないように思うのです。
今回は、そのような「不連続な変化」を巻き起こし、少なくとも「社会全体の方向性を断崖へ向かって加速するのではなく、あるべき姿に転換する」ための議論の材料をお話ししたいと思います。特に今回は、常識的な政策テーマを網羅的に考えるのとは違う提案を試みます。「本当の敵」を探るという思考実験です。