便利になった世の中に「感謝」ではなく「不満」を抱いてしまう人間の“心理”とは?

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最近はAI(人工知能)の発達が進んだことによって、どんどん便利なモノやサービスが誕生しています。スマホ片手に連絡を取ったり、地図を見たり、決済をしたりと、ひと昔前では考えられないような便利な世界に慣れてくると、忘れがちになってしまうのが「感謝の気持ち」ではないでしょうか。今回のメルマガ『小野寺S一貴 龍神の胸の内【プレミアム】』では、小野寺S一貴さんが、便利になればなるほど、なぜ人間は「不満」を抱いてしまうのか、について解説しています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/メルマガ原題:便利になればなるほど、不満が出てくるという人間の不思議

なぜ人間は「便利」になった世界に不満を抱いてしまうのか?

最近、ふと思うことがあるんです。「ほんと今って便利になった」って。そう思うと同時に、昔を振り返ってみて、「昔はよく、あんな面倒な事をしていたよなあ」と感じることも。

あたりまえに思っているけど、今って驚くべき便利な世の中ですよね。どんな情報でもスマホひとつで集められちゃうし。この辺で美味しいお店は?評判のいい病院はどこ?目的地までの道順は?欲しいものがあればポチリ。検索ひとつで、それはもう様々な情報があっという間に手に入る。

もっと言えば、待ち合わせの時にも直接やり取りできちゃうし。「ちょっと遅れそう」「場所がわかんない」「いまどこにいるの?」どこにいてもすぐに連絡が取り合えるから、その日の状況に応じて待ち合わせの時間や場所だって変更が可能です。

これ、昔だったらありえないこと。会いたければ、待ち合わせの場所で待っているしかなかった。その場で相手へ連絡する手段なんて、昔はありませんでした。だから待ち合わせ場所で長い時間待った、という経験がある人も多いかもしれません。

今なら直接携帯に電話なりメッセージなりLINEなり、直接連絡すれば済む話なんだけど。ただ、それがダメかと言ったらそういうわけじゃなくてね。待つことが楽しかったり、期待と不安が入り混じっている心を楽しんだり、なんというか青春だったわけですよ。女の子に待ちぼうけくらわされて振られたことだって……あ、これは内緒にしとこ。

僕が思い出に残っているのは、大会を開催しているスキー場をせっせと探した経験かなあ。学生時代にスキーを始めた僕は、公式な大きな大会には出られなかったけど、その代わりに草大会を探してはコツコツ出場していました。じゃ、その大会をどうやって探したのか?というとね。

1.本屋さんでスキー場ガイドを購入する
2.行けそうなスキー場を探して電話をかける
3.「そちらで草大会の開催予定はありませんか?」と聞く
4.ある場合は、申し込み要項を郵送かFAXで送ってもらう

これだけの段階を踏んで、ようやく出れそうな大会を発見するんです。そして、いそいそと申し込む。この手間、今の若い人にはわからないだろうなあ、と思ったり。だって今ならホームページを見て、申し込み書をダウンロードなりすればいいだけの話でしょ?

学校の願書とかも今はそんな感じだと聞いています。本当に便利で、手間がかからなくなりました。そして、話は戻りますが初めて行くスキー場だと、地図を用意して向かうわけです(カーナビなんてありゃしないから)。「真っすぐだな」「いや、こっちの道じゃね?」「あ、看板見っけ!」なんて感じでね。今ならコンピューターであっという間なんですけどねえ。カーナビやスマホの地図機能を使えば簡単に検索できるんだから。

昨年、僕は日本全国あちこちに出かけたけれど、初めての土地でもカーナビやスマホの地図機能で、道に迷うことはありませんでした。ただ、カーナビに従って運転するので、意外と道を覚えられないのが玉にきずなんだけど。それでもスムーズに運転できる利点は大きかった。予定通りに行きたい場所を巡れますから。ほんと、便利すぎる世の中ですよ。

だけど……そこで思うのです。僕でさえ、この20年30年で、驚くほど便利になったことを実感している。「便利になる」って、すなわち不満が解消されることに近い。じゃ、この数十年で、どれだけ人々には不満がなくなったのだろうと……。

さてさて、皆さん。ここでちょとイジワルなタカさんが現れます。今、僕は、「この数十年で世の中とても便利になった」と言いました。「便利になれば人の不満も少なくなるだろう」と言いました。さあ、それは本当に? 皆さん、若い頃と比べて、世の中に蔓延する不平不満が少なくなったと感じますか?「昔に比べて不満を口にする人がいなくなったよ」と実感している人、いるでしょうか?

いやいやいやいや、そんなわけねーだろ。イジワルなタカさんは、むしろ逆だと感じています。不便に感じていた時代は「自分でやらなければならない」時代でした。どこかに行くためには地図を買って、自分でルートを考える。誰かと会って話をしたければ、会う時間と場所を考えて待ち合わせをする。何かを調べるためには、図書館に行ってそれに関する書籍を探す。詳しい人に聞きに行く。そうやって、自分の欲求を満たしていた。

だけどこれって、すべて自分でできること。してきたことなんです。

さっきから「便利」と一口に言ってきたけれど、これにはふたつのパターンがあります。ひとつ目は、できないことができるようになること。ふたつ目は、できることをしなくていいようにすること。

ひとつ目は、本来できなかったことが可能になるのだから、とても助かります。交通機関の発達は、本来早く移動する手段がなかった人間にとっては、画期的な発明だしね。遠くの人とリアルタイムで通話ができる電話の発明もそう。文明の発達で、人々の暮らしはとても便利になった。

問題はふたつ目の方ですよ、ふたつ目。できるのにしなくていいというのは、人間が「関与できなくなる」ことを意味します。自動運転が進むと、車の運転に人間が関与できなくなるし。ロボット掃除機の発達で、自分で掃除をしなくてもよくなれば、自分で部屋をきれいにする概念さえがなくなります。つまり、「物事に関与できる分野が減っていく」点が、大きな問題なんです。

なぜか?そんなの決まってますよ。「自分の力でやっている」という当事者意識が、どんどん欠落していくから。

昔、不便と言われていた時代は、すべてを自分でやらなければいけなかった。スキー場でのイベントひとつ見つけるにも、自分で調べて直接電話して聞かなければいけなかった。だけど、その過程一つひとつで、コミュニケーション能力が鍛えられました。当事者意識が植え付けられて、責任感が芽生えました。それと同時に「やった、自分でやれた!」という自信も付いていった気がします。

だけど、自分で手を出せないことが増えていったらどうなりますかね?自動運転で事故を起こしても「私が運転していたわけじゃない」。部屋が汚れていても「お掃除ロボットが悪い。作ったメーカーが悪い」と不満ばかりが多くなる。自分は何もしていないので、最終的には自信も付きません。自己肯定感が上がることもないでしょう。

このように世の中、本来できることをしなくなるような「便利」が増えたことで、小さな不満が我慢できなくなっている。自分ができない分だけ、どんどん不平不満が増えていく。だって、『誰かにやってもらうしか解決する手段がないんだもん!』。

だからね、イジワルなタカさんはこう思っています。文句を言っている人ほど、実は便利な中で生きているんだよ、って。誰かがやってくれると思えるほどに「便利」を享受しているんです。逆に不便を知っている人ほど、不満を抱く暇も文句を言っている時間もありません。当事者意識があるほど「次は気をつけよう」「自分でなんとかしなきゃ」と考え、不満も自然と抑えられる。自分でなんとかしなきゃ、と前向きに考えるから。

これが今の世の中で、「便利になればなるほど、不満が出てくる」という不思議の答え。そこがわかったなら、することはひとつです。

・自分でやる意識を持つ
・自分も積極的に関与する。その行為に参加する

その気持ちがあれば、世の中への不満は軽減されるんですよ。便利の上に胡坐をかいて、自分でする意識が薄れないように。できることはやってみましょう。難しいことでも挑戦してみましょう。それだけで、心の中の不満が軽減するだけではなく。知識や技術も向上して、人間力も絶対に高まっていきますから。

それでも文句を言いたくなったら、ーーー。(『小野寺S一貴 龍神の胸の内【プレミアム】』2025年1月20日号より一部抜粋。続きはご登録の上お楽しみください、初月無料です)

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